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Jリーグ 3か月前

怪我さえなければ…。日本の「ガラスの天才」5人。「もっとできた」と思いたくなる才能たち

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 若くして評価され、「天才」と称される選手たちがいる。しかし彼らがそのままスター選手として活躍し続ける保証はない。怪我やプレッシャーに苦しみ、コンディションを落としていく者もいる。今回は大きな期待を背負いながらも才能を発揮しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。[4/5ページ]

DF:内田篤人

内田篤人
【写真:Getty Images】

生年月日:1988年3月27日
主な在籍クラブ:鹿島アントラーズ、シャルケ04

 サッカー日本代表として74試合に出場した内田篤人は、日本史上最高の右サイドバックのひとりと称される存在だ。もしケガがなければ、さらに偉大なキャリアを築いていたかもしれない。

 内田は2006年、鹿島アントラーズでプロデビュー。クラブ史上初の高卒ルーキーで開幕スタメンを飾ると、すぐにポジションを確保し、2007年からのJリーグ3連覇に大きく貢献した。

 スピードと高い技術に加え、若手とは思えない冷静な判断で、そのときに最適なプレーを選ぶインテリジェンスがあり、2008年から日本代表に定着した。

 2010年にドイツのシャルケに加入した内田は、欧州の舞台でもレギュラーを獲得する。

 2010/11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ(CL)準々決勝では、当時長友佑都が所属していたインテルと対戦。史上初のCL日本人対決を制した内田は、日本人選手として初のCL準決勝進出を果たした。

 しかし、2014年2月、右膝の裏の腱を痛めると、以降はケガとの戦いになった。

 このとき、FIFAワールドカップ(W杯)を控えていたため、手術を受けずに保存療法で回復を目指すことを選んだ。すると、同年7月には右膝の前の腱、膝蓋腱の炎症を起こした。

 ダッシュやジャンプ、インステップキックなどで強い痛みが出るこの症状は、完治が難しいとされ、内田も例外ではなかった。慢性的な炎症で離脱を繰り返すようになり、2015年には手術に踏み切った。

 約1年半の長期離脱の末に復帰したものの、かつての状態を取り戻すことは難しく、筋肉系の負傷を繰り返し、32歳という若さで現役を引退した。

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