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コラム 5か月前

W杯が危うい…。強豪だったイタリア代表はなぜ凋落したのか。様々な要因が絡み合う負の連鎖【コラム】

シリーズ:コラム text by 佐藤徳和 photo by Getty Images

ファンには「イタリア代表のため」という考えは毛頭ない

 22/23シーズンは、レギュラーシーズンを制したUSレッチェが、ファイナルステージでも優勝。ビッグクラブではないUSレッチェのスクデット獲得は驚きをもたらしたが、フィオレンティーナとの決勝で出場した15人の全員が外国籍選手だったことは大きな物議を醸した。

 そうした外国人選手が重宝される傾向に待ったをかけるように、23/24シーズンからは、5人のローカル選手(12歳の誕生日以降にそのクラブに所属し、最低2年登録されていた選手。ただし、国籍は問わない)に5人のイタリア代表招集資格を有する選手の登録が義務付けられている。

 段階的に増やされ、25/26シーズンは、それぞれが10人となっており、イタリア人選手の出場機会の増加が促されているが、今のところセリエAにその直接の影響はない。

 育成年代の指導法にも問題は多い。ポゼッションの“イロハ”ばかりを教えたがる指導者が多く、選手は幼い頃から戦術至上主義を押し付けられ、技術がおろそかにされている。

 また、ストリートサッカーやオラトリオ(教会付属の児童施設)でサッカーをする子どもたちもほとんど見かけられなくなり、遊びの中で身につけられる本能的な嗅覚を備えることなく成長している。89分眠っていても、ワンチャンスで試合を仕留めるフィリッポ・インザーギのようなストライカーがかつては数多く存在したが、いまでは凡庸な選手ばかりだ。

 もちろん、ピオ・エスポージトやフランチェスコ・カマルダといった将来を嘱望される選手が生まれてきており、育成年代が決して他国よりも劣っているわけではない。2023年にはU-19が、2024年にはU-17が欧州で頂点に立っている。やはり、トップチームでのイタリア人選手の起用が少ない点が、大きな問題であろう。

 今夏は、イタリア代表のガットゥーゾ監督が、精力的にクラブを視察。その中には、ミランやUSサッスオーロも含まれていた。かつては、優れた“メイド・イン・イタリー”を数多く輩出したクラブであるが、イタリア人選手の多用を哲学としたミランのシルヴィオ・ベルルスコーニが去り、USサッスオーロのオーナーで、イタリア経団連の会長であったジョルジョ・スクインツィも他界したことで、そうした理念もなくなってしまった。

 ミランが開幕節のクレモネーゼ戦で先発に起用したイタリア人は、マッテオ・ガッビアだけだ。そして、このガッビアもイタリア代表には招集されていない。さらに昇格2年目のコモ1907は、今季の開幕戦で、起用した16人全員が外国人選手であった。

 問題なのは、サポーターもこれに全く異を唱えていないことだ。イタリア人を起用して降格するぐらいであれば、外国人選手を使ってでも残留を果たすべきだという考えが大半を占める。ファンには「イタリア代表のため」という考えは毛頭ない。

 イタリアは中世の時代、様々な都市国家が乱立した。イタリア人である前に、コモ人であり、ほかのクラブにおいても、この精神が今も根付いているといえるだろう。

 メディアにもイタリア代表の弱体化の責任はある。アッズーリが敗れると、セリエAのイタリア人プレーヤーの少なさを嘆くが、移籍メルカートが始まるやいなや、その話はなかったことのように忘れ去られ、大物外国人選手の獲得に狂喜乱舞する。

 毎年9月の代表ウィークでは、アッズーリが不甲斐ないプレーを見せる度に「セリエA開幕が他国のリーグよりも遅く、選手のコンデションが完全ではない」と指摘する。もはやこの時期のお決まりの“常套句”だ。

 同じ議論が展開されるだけで、一向に改善されない。イタリアは何度も同じ蹉跌を繰り返すだけだ。2018年大会での敗退時には「アポカリッセ」という「世界の終末」を意味する言葉がメディアには踊ったが、もしイタリアがW杯に3度も不在となるようなことが起こったとき、どのような言葉が用意されるのだろうか。

(文:佐藤徳和)

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【了】

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