98年、中田英寿。激動の時代、ナカタはなぜ至高の活躍を見せ急速に引退へと向かったのか【セリエA日本人選手の記憶(2)】

日本人選手の欧州クラブへの移籍は通過儀礼とも言える。90年代、そのスタートとなったのがセリエAへの移籍だった。三浦知良や中田英寿など日本を代表する選手たちが数多くプレーしたイタリアの地。しかし、現在セリエAでプレーする日本人選手はゼロ。この機会にこれまでの日本人選手のセリエAでの挑戦を振り返る。第2回はMF中田英寿。(取材・文:神尾光臣【イタリア】)

2019年04月11日(Thu)10時00分配信

シリーズ:セリエA日本人選手の記憶
text by 神尾光臣 photo Getty Images
Tags: , , , , , , , ,

「ローマがスクデットを取ることができたのはナカタのおかげ」

中田英寿
ペルージャやローマなど、セリエAで長く活躍した中田英寿【写真:Getty Images】

「ローマがスクデットを取ることができたのはナカタのおかげ」。イタリアのサッカーファンの間では、今もそんな言い方がされている。

 今から約18年前の2001年5月6日、ユベントスVSローマ戦。ユーベの猛追を受けていたローマが、アウェイの直接対決で2点を先行され苦しい状態。その時、後半途中から出場した中田英寿が流れを変えた。

 中盤でボールを奪うや、そのままミドルシュートをねじ込んでまず1点。そして終了間際にはまたミドルシュートを狙い、こぼれ球をヴィンチェンツォ・モンテッラが押しこんでドローを奪取。勝ち点差6のキープに成功したローマは、逃げ切りに成功してスクデットを奪った。

 21歳の若さでペルージャに移籍し、セリエAに初挑戦。国際的には無名に近い状態から開幕のユベントス戦で2ゴールを挙げるなど、デビューシーズンで鮮烈な成績を残した。

 翌シーズンの半ばには多大な移籍金でローマに引き抜かれ、2000/01シーズンにはスクデット獲得に貢献。その後もパルマ、ボローニャ、フィオレンティーナで計4年間プレー。日本人選手が世界最高のリーグの一つで通用することを示し、日本サッカーの価値を大いに引き上げた功労者であることに、疑いの余地はない。

 中田がイタリアの地を踏んだのはフランスワールドカップの直後である98年7月のこと。行ったのはペルージャという、日本人には耳馴染みのなかった城塞都市をホームとするクラブだ。アンダー世代での国際経験は豊富だとはいえ、欧州クラブでのプレー経験はない。ルチアーノ・ガウッチ会長がそんな選手を引き当ててくることにも懐疑の目は多かった。

1 2 3 4 5

新着記事

FChan TV

↑top