いつの時代も、サッカー界には“問題児”と呼ばれる選手が存在する。パッションがほとばしる競技性であるため時には冷静さを欠いてしまうこともあるが、なかには一線を超えてしまうケースがあるのも事実だ。今回は、日本サッカー史上に名を残す最強の悪童4人をピックアップして紹介する。※データは『Transfermarkt』を参照[1/4ページ]
FW:大久保嘉人(おおくぼ・よしと)
生年月日:1982年6月9日
主な所属先:セレッソ大阪、RCDマジョルカ(スペイン)、ヴィッセル神戸、川崎フロンターレ
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日本サッカー界における悪童の話題になると、必ずと言っていいほど名前が登場するのが大久保嘉人だ。
生粋のゴールハンターである大久保は、J1リーグ通算最多得点記録やJリーグ史上初の3年連続得点王といった輝かしい足跡を残した。
その半面、J1リーグ通算最多イエローカード記録や日本人最多レッドカード記録といった不名誉なリストの先頭にも名を連ねている。
特に若い頃の大久保は、激しい性格をピッチ上で表現することが珍しくなかった。
プロ入り1年目の2001シーズン、大久保は4月14日のジュビロ磐田戦(Jリーグ1 1stステージ第5節)にてJリーグ初得点をマークした。
だが、田中誠との口論の末に両者にレッドカードが提示され、初退場のおまけも付いてしまった。
Jリーグで数多くのカードを頂戴したのは先に触れた記録が示しているが、大久保の悪童ぶりはサッカー日本代表でも発揮されている。
2008年6月7日のオマーン代表戦(2010 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 第4節)で、大久保は相手ゴールキーパーと交錯した際に蹴りを入れて退場処分に。
先制されるも同点に追いつき、オマーンに与えたPKを楢崎正剛が止めて反撃ムードが高まっていたなかで起きた退場劇は、当時ファンやメディアから厳しく糾弾された。
2021年に引退した大久保は、ピッチ上の姿からは想像もつかないほど穏やかな一面を見せている。
最も、どちらもが彼の“真の顔”であり、我々は大久保の一側面しか知らなかったということなのだろう。
