「曺さんのもとで、もう一度…」
しかし、思うように出場機会を得られない。リーグ戦で出場わずか4試合、プレータイムわずか34分で、京都との第8節以降はベンチ入りメンバーにすら入れない状況で迎えた6月14日に、京都への期限付き移籍が発表された。
大学3年以降に急成長を遂げた佐藤は、指導者資格を回復させた曺氏が2021シーズンから監督に就任し、翌2022シーズンから12年ぶりのJ1復帰を果たした京都入りを何度も誘われていた。うれしく思うと同時に、佐藤は「曺さんのチームにいったら、また甘えてしまいそうな気がして」と固辞して鳥栖を選んだ。
しかし、鳥栖で味わった挫折が思いを一変させた。ルーキーイヤーの夏にチームを変えた理由を、佐藤は「曺さんのもとで、もう一度チャレンジしたいと思って半年で移籍しました」とこう振り返る。
「自分がうまくいっていない状況で曺さんに助けてもらうじゃないですけど、大学のころと変わらずに自分のプレーを思い切って出していく姿勢を含めて、自信を取り戻させてくれたと感謝しています」
曺監督自身も「響のポテンシャルは間近に見てきた僕が一番よくわかっていた」と当時を振り返る。