「JFA・Jリーグ特別指定選手制度」は現在、受入先のJクラブにプロ選手として加入することが内定していることを条件としている。しかしそれ以前は、受入先クラブへの加入が内定せずとも、特別指定選手としてプロクラブ入りする例もあった。それゆえに、必ず受入先クラブでプロとしての道を歩むとは限らなかった。今回は、実は特別指定選手としてプレーしていたクラブではなく、他クラブでプロ入りした主なJリーガーを紹介する。[3/5ページ]
GK:シュミット・ダニエル

【写真:Getty Images】
生年月日:1992年2月3日
登録先(特別指定選手):川崎フロンターレ
加入先:ベガルタ仙台
サッカー日本代表でも活躍したシュミット・ダニエルは、中央大学の1年時から3年連続で特別指定選手として川崎フロンターレに登録されていた。
トップチームでベンチ入りも経験し、川崎への正式加入は決定的と思われていたが、シュミットは周囲の予想に反する決断を下したのだった。
ドイツ系アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれたシュミットは、2歳の時に宮城県仙台市に移り住む。
今でこそ197cmの長身を活かしたゴールキーパー(GK)として知られているが、中学3年時までは守備的ミッドフィルダーとしてプレーしていた。
東北学院高校入学後にGKへ転向すると、高校3年時にはベガルタ仙台から獲得オファーを受けた。
しかし、シュミットの答えは「ノー」。プロで活躍する未来をより確実なものとするため、中央大学進学を選択する。
その後は、2010年から3年連続で川崎の特別指定選手となったものの、2014シーズンに加入したのは一度断りを入れたはずの仙台。受入先の川崎ではなく、地元クラブで念願のプロ入りを果たした。
当時、川崎では西部洋平が正守護神として君臨。プロとして試合に出場することに意義を見出していたシュミットにとって、川崎への加入はリスキーな決断だったのかもしれない。
「ベガルタ仙台は自分が育った仙台のJリーグチームであり、幼少期からの憧れのクラブでした」(仙台のクラブ公式サイトより)
そう語ったシュミットは、仙台での活躍を礎にキャリアを飛躍させ、ベルギー挑戦や2022 FIFAワールドカップ出場メンバー選出につなげていった。