「JFA・Jリーグ特別指定選手制度」は現在、受入先のJクラブにプロ選手として加入することが内定していることを条件としている。しかしそれ以前は、受入先クラブへの加入が内定せずとも、特別指定選手としてプロクラブ入りする例もあった。それゆえに、必ず受入先クラブでプロとしての道を歩むとは限らなかった。今回は、実は特別指定選手としてプレーしていたクラブではなく、他クラブでプロ入りした主なJリーガーを紹介する。[4/5ページ]
MF:米本拓司(よねもと・たくじ)

【写真:Getty Images】
生年月日:1990年12月3日
登録先(特別指定選手):ヴィッセル神戸
加入先:FC東京
中盤のハードワーカーとしてJリーグでその名を轟かせてきた米本拓司は、伊丹高校3年時に人生の岐路に立たされた。
特別指定選手として帯同するヴィッセル神戸に加入するか、それとも同時期に練習へ参加していたFC東京入りを選択するか…。
最終的に米本が選び取ったのは、サッカーU-16およびU-17日本代表で指導を受けた城福浩が監督を務めるFC東京だった。
伊丹高校の1年時から兵庫県選抜に選ばれるなど、米本は早くから才能を発揮していた。
そんな米本に注目したのがU-16日本代表監督を務めていた城福であり、2006年に兵庫県で開催された国民体育大会に出場していた米本を代表チームに呼び寄せた。
翌2007年には、城福が指揮するU-17日本代表の一員としてFIFA U-17ワールドカップにチーム最年少で出場。2008年5月、神戸に特別指定選手として迎え入れられる。
ただ、ほぼ時を同じくしてFC東京の練習へ参加していた米本は、2008シーズンよりトップチーム監督に就任した城福と再会。2009シーズン、米本が手にしたのは青と赤のユニフォームだった。
後年、米本はFC東京に加入した最大の理由に“恩師”の存在を挙げている。
選手にとって、プロ入りした環境はその後のキャリア形成に大きな影響を与え得る。自分のことをよく知ってくれている指揮官のもとでのプレーを望むのはごく自然な欲求だろう。
米本はFC東京在籍10シーズンで公式戦通算284試合9得点19アシストをマーク。高校3年生の時に下した自らの決断を正解にしてみせた。