これまで多くの外国人監督がJリーグクラブを率いてきた。チームを成功へと導いた名将もいれば、その一方でクラブを混乱や崩壊の危機に直面させた指揮官もいる。今回は、Jリーグで指揮を執りながらも、期待に応えられず残念な結末を迎えた外国人監督を紹介する。[3/5ページ]
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ジョゼ・カルロス・セホーン(ガンバ大阪/ブラジル)
【写真:Getty Images】
生年月日:1950年10月12日
在籍期間:2012年2月~同3月
ガンバ大阪の長い歴史の中で、最も混乱を極めた人事といえば、ジョゼ・カルロス・セホーンの監督就任だろう。
クラブは当初、呂比須ワグナーを新監督に据える予定だった。
しかし、Jリーグが定める指導者ライセンスの基準を満たしていないことが判明する。
そこで呂比須は、恩師であるセホーンを監督に推薦し、自身はコーチとしてチームを支える形でスタートを切った。
しかし、実際に指揮を執ったのはセホーンではなく呂比須であり、現場は混乱を極めることとなる。
前年度3位という好成績を残した強豪クラブが、開幕から公式戦5連敗を喫するという異常事態に、チーム内には焦燥感が募り、サポーターの不満も加速度的に膨れ上がっていった。
第3節のジュビロ磐田戦で敗れた翌日、クラブはセホーン監督と呂比須コーチの双方を同時に解任。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)をあわせて、この時点で公式戦5連敗の状況だった。チームは早々に立て直し不能の状態に陥る。
後任にはクラブOBの松波正信が就任したものの、流れを変えることはできず、最終的にガンバはクラブ史上初となるJ2降格の屈辱を味わうこととなってしまった。
フロントの迷走が引き起こした混乱劇の中で、セホーンは名ばかりの監督として責任を負わされたことを踏まえると、彼もまたこの騒動の被害者だったのかもしれない。