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J1 1か月前

クラブ崩壊の原因…。Jリーグ、歴代ハズレ外国人監督10人。サポーターを失望させた迷将たち【Part1】

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 これまで多くの外国人監督がJリーグクラブを率いてきた。チームを成功へと導いた名将もいれば、その一方でクラブを混乱や崩壊の危機に直面させた指揮官もいる。今回は、Jリーグで指揮を執りながらも、期待に応えられず残念な結末を迎えた外国人監督を紹介する。[4/5ページ]
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グラハム・アーノルド(ベガルタ仙台/オーストラリア)

Graham Arnold

【写真:Getty Images】

生年月日:1963年8月3日
在籍期間:2014年2月~同4月

 グラハム・アーノルドは元オーストラリア代表で、現役時代にはサンフレッチェ広島でプレーした経験も持つストライカーだ。

 オーストラリア代表では名将フース・ヒディンクのアシスタントコーチを務め、自らも代表監督を経験するなど、確かな実績を持つ指導者だった。

 指揮官としてセントラルコースト・マリナーズFCをAリーグのファイナルシーズン優勝に導くなど、確かな実績を伴って2014年にベガルタ仙台の監督に就任する。

 仙台は、J2時代から6年間にわたりチームを率いた手倉森誠監督が前年限りで退任。手倉森監督のもとでクラブは昇格を果たし、J1でも優勝争いに加わるまでに成長しており、まさに一つの時代を築いた後の転換期にあった。

 クラブがアーノルドに託したのは、その土台を受け継ぎながら、さらなる高みへと導くミッションだった。

 しかし、現実は厳しかった。

 開幕から連敗スタートを喫すると、結局カップ戦を含めても勝利を挙げることができず、公式戦8試合で3分け5敗という成績に終わった。

 クラブは結果を重く受け止め、アーノルドとの契約を双方合意のうえで解除する決断を下した。

 その後、後任に渡邉晋氏が就任すると、チームを徐々に立て直し、なんとかJ1残留を果たすことに成功した。

 アーノルドにとって仙台での短い時間は、決して本領を発揮できぬまま終わった挑戦だった。

 前任者の手倉森監督が築いた大きな成功の後に受けたハードルの高さを考えれば、少々気の毒な結果だったと言えるだろう。

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