これまで多くの外国人監督がJリーグクラブを率いてきた。チームを成功へと導いた名将もいれば、その一方でクラブを混乱や崩壊の危機に直面させた指揮官もいる。今回は、Jリーグで指揮を執りながらも、期待に応えられず残念な結末を迎えた外国人監督を紹介する。[4/5ページ]
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ラドミロ・イヴァンチェビッチ(コンサドーレ札幌/セルビア)

【写真:Getty Images】
生年月日:1950年9月4日
在籍期間:2002年6月~同9月
2002年6月、コンサドーレ札幌はシーズン途中に新監督としてラドミロ・イヴァンチェビッチを招聘した。
しかし、このベテラン指揮官に託されたミッションは、すでに深刻な危機に陥っていたチームの立て直しという極めて困難なものだった。
前年まで3シーズンにわたってチームを率いた岡田武史が退任。攻撃の主軸だったウィルと播戸竜二の得点源も移籍し、大幅な戦力ダウンで2002年シーズンを迎えた。
札幌は開幕から不振に陥り、柱谷哲二監督のもとでリーグ戦1勝6敗という厳しい結果で下位に沈んでいた。
その後任として白羽の矢が立ったのが、イヴァンチェビッチだった。
欧州での豊富な指導経験への期待は大きく、クラブは再建に望みを託したが状況は思うように好転しなかった。
初陣となったヴィッセル神戸戦で0-1の敗戦を喫すると、続く浦和レッズ戦にも敗れ、チームは泥沼の連敗街道に突入。勝利をつかめないまま、リーグ戦6連敗を喫してしまう。
ようやく就任7戦目のガンバ大阪戦で初勝利を挙げたものの、勢いは続かず、それがイヴァンチェビッチ体制での唯一の白星となった。
最終的に11試合を指揮して1勝1分け9敗という成績に終わり、シーズン終了を待たずに辞任が発表された。
チームはその後も立て直せず、最下位でフィニッシュし、2度目のJ2降格を余儀なくされている。
短命に終わったイヴァンチェビッチ体制は、札幌の苦い歴史の一ページとして刻まれることとなった。