プレミアリーグのフットボールに大きな変化が訪れている。昨季トップハーフでフィニッシュした10クラブのうち8クラブが一昨季との比較でポゼッション率が低下していた。このトレンドの変化に最も影響を与えた人物が、ボーンマスのアンドニ・イラオラ監督だろう。その手腕は高く評価されており、彼らが今夏に多くの主力を引き抜かれた中でも上位争いを演じることができている理由を考察する。(文:安洋一郎)
ペップも絶賛するモダンなフットボール
「今日のモダンなフットボールとは、まさにボーンマスが実践するスタイルだ」
2024年11月2日にマンチェスター・シティを率いるジョゼップ・グアルディオラは、それまで全勝と得意としていたボーンマスに監督キャリアで初の黒星を喫した。
バイタリティ・スタジアムでの1-2の敗戦後、21世紀に最も多くの成功を収めたスペイン人指揮官はアンドニ・イラオラ監督が掲げるスタイルを賞賛した。
ペップの発言は正しいだろう。2023年夏にイラオラがボーンマスの監督に就任して以来、プレミアリーグのトレンドは大きく変化している。
ペップ・シティはポジショナルプレーを基盤にプレミアリーグ4連覇を達成したが、その対策として、マンツーマンでのプレッシングと縦に速いダイレクトなフットボールを展開するチームが増えた。
イギリス『Sky Sports』の記事によると、今シーズンのプレミアリーグは1試合平均のパス本数(両チーム合算)が2010/11シーズン以来の最少を記録。マンチェスター・シティが最後にプレミアリーグを制した2023/24シーズンの941本から、2年経たずして858本まで減少しているのだ。
2025/26シーズンは、ほぼ全チームがマンツーマンディフェンスを採用している。
このトレンドの変化に最も影響を与えた人物がボーンマスを躍進に導いたイラオラだろう。そのルーツから強さの理由について考察する。
名監督を輩出するバスク地方出身
バスク地方のギプスコア県出身のイラオラは、7、8歳の頃からシャビ・アロンソ(現レアル・マドリード監督)やミケル・アルテタ(現アーセナル監督)と同じクラブでプレーしていた。
後に彼らは異なる進路を選ぶ。イラオラは16歳でアトレティック・クラブのセカンドチームに入団。トップチームでは主将も務め、公式戦通算508試合に出場した。
キャリアの大半をアトレティック・クラブで過ごしたイラオラは多くの優秀な指導者と出会う。
最も多くの試合に出場したのが、入団時にセカンドチームの監督を務めていたエルネスト・バルベルデ(現アトレティック・クラブ監督)だ。彼と共に2003/04シーズンにトップチーム昇格を果たし、アトレティック・クラブを退団する2014/15シーズンも共闘している。
もう1人強い影響を受けているのが、2011/12シーズンから2年間指導を受けたマルセロ・ビエルサである。
ペップが語った“モダンなフットボール“こそ、イラオラがビエルサの下で学んだ戦術をアップデートさせたものだ。
長いボールを活用した背後への意識や、前線から高い強度ハイプレスを仕掛けるのはビエルサの影響を強く受けていると言えるだろう。
相手の長所を消す微調整
ハイライン×ハイラインでライン間をコンパクトにして、高い位置からボール奪取を狙い、少ない手数で得点を決めるのが彼らの基本的な狙いだ。
その上でイラオラのチームは相手の特徴に合わせてハイプレスの方法に微調整を加えている。
例えば、今シーズンの第8節クリスタル・パレス戦では、ドリブルでのキャリーや攻撃の起点となる縦パスを得意としている左CBのマーク・グエイにボールが渡りにくい形で前線から制限をかけた。
3バックを形成するマクサンス・ラクロワとクリス・リチャーズとのボールタッチ数の差は顕著だ。彼らはそれぞれ83回と77回のタッチ数を記録したのに対して、グエイは57回に留まった。
昨シーズンのアストン・ヴィラ戦では、左CBのパウ・トーレスに対し、徹底して外切りのプレスを仕掛けた。主に左足を使ってのパスを行うスペイン代表DFの選択肢を中に絞ることで、ボールの奪いどころを限定しやすくなる。
このやり方は直後に対戦したリヴァプールやチェルシーもパウ・トーレス対策として採用して上手く機能した。
このように相手のビルドアップの強みを消すのがイラオラの非保持の戦術における肝だろう。
トランジションが発生する位置のコントロール
自分たちがボールを持って前進する方法も整理されている。代表的なのが長いボールを活用したビルドアップだ。
その目的は相手の守備陣形を“縦に広げる”ことにある。裏のスペースに相手CBが下がりながらの対応となる長いボールを供給することで、セカンドボールを回収するためのエリアを意図的に広くしていると考えられる。
好調の今シーズンもCBからのロングボールを多用しており、第9節終了時点ではDFマルコス・セネシがフィールドプレイヤーで最多のロングボール数を記録。
昨季もエヴァートンがデヴィッド・モイーズ監督を招聘するまでは、リーグ1位のロングボール数を記録していた。
長いボールを多用するのは、自軍ゴール付近でのロストを避ける目的もある。
これらは一気に局面が変わる傾向にあるトランジションが発生する場所をコントロールしているとも捉えることができ、最終ラインからボールを繋ぐことを好むチームに対しては抜群の効果を発揮する。
昨シーズンは幼馴染のアルテタが率いるアーセナル相手にシーズンダブルを達成した。
選手個人の能力を伸ばすための微調整
イラオラ監督のもう1つの特長が、選手個人の能力を伸ばすことに長けている点だ。
これもビエルサに通ずるものがあるだろう。彼はチリ代表監督時代に当時10代のMFアルトゥーロ・ビダルやFWアレクシス・サンチェスらの成長に多大な影響を与え、後に黄金世代とも呼ばれた選手たちはコパ・アメリカ2連覇を経験した。
リーズ・ユナイテッドでは、当時ボックス・トゥ・ボックスのMFでの起用が多かったMFカルヴィン・フィリップスをアンカーにコンバート。数年でイングランド代表の主力にまで育て上げた。
イラオラはボーンマスでビエルサにおけるフィリップスのように、ポジションや役割に微調整を与えることで選手の個性を伸ばしている。
その代表例が、今やプレミアリーグを代表するタレントとなったFWアントワーヌ・セメンヨの起用法だ。
前所属のブリストル・シティでは主に最前線で起用されていたが、イラオラ監督は彼をワイドに配置。ストライカーからウインガーへとコンバートした。
これが功を奏してガーナ代表FWはパワフルなボールキャリーと両足から放たれる強烈なシュートを武器に得点を量産。今季のプレミアリーグでは、FWアーリング・ハーランドに次ぐ2位の得点数を記録している。
他にも前所属のセルティックではトップ下やウインガーで起用されていたMFライアン・クリスティをハードワークが武器のボランチへと変えた。
彼のようなテクニックに優れた選手を3列目に配置することで、ボールを奪った直後のプレーのクオリティを上げており、各選手の個性がチームの歯車となって機能している。
主力を引き抜かれた中でも上位争いを演じることができる理由
選手の個性を活かす上手さは今シーズンの成績にも表れている。
昨シーズンから今シーズンにかけてボーンマスは多くの主力を引き抜かれた。
GKのケパ・アリサバラガがチェルシーへとローンバック(後にアーセナルへ移籍)し、DFディーン・ハイセンがレアル・マドリード、DFイリア・ザバルニーがパリ・サンジェルマン、DFミロシュ・ケルケズがリヴァプールに移籍しており、最終ラインを中心にチームの核となる選手を失った。
それでも2位という順位に位置することができているのは、ボーンマスがブライトンやブレントフォードをモデルケースに若手選手を中心としたリクルートに力を入れていることに加え、イラオラ監督の戦術が新加入選手にとってもタスク過多にならないように整理されている影響が大きい。
苦手なことをやらせず、自分たちの持ち味を発揮することがチーム全体のパフォーマンスに繋がる設計を組むことができているのが、主力を引き抜かれた中でも今シーズンの開幕ダッシュに成功した最大の理由だ。
この調子で勝ち星を重ねることができれば、クラブ史上初の欧州カップ戦出場権獲得も夢ではないだろう。
しかし、課題がないわけではない。特にシーズン終盤にかけてのコンディション低下が懸念されている。
ボーンマスはプレミアリーグでも屈指の運動量を求められるチームであり、イギリス『BBC』によると昨シーズンのスプリント数リーグ1位。走行距離も4位だった。
疲労が蓄積されるシーズン終盤にかけて負担が重くなり、ハムストリングの負傷を筆頭に怪我人が出やすくなってしまう。
昨季も第25節終了時点では5位に位置していたが、終盤にクリスティら主力が離脱したことで大失速。ガス欠気味での9位フィニッシュだった。
今シーズンは昨シーズンと比較をすると、リード時などの状況によっては、ボールを保持してコントロールしようとする姿勢がみられる。そういった意味では、ボールテクニックに優れたMFアレックス・スコットが台頭しているのは好材料だろう。
イラオラ監督が率いるボーンマスは、昨季までに顕在化した課題を克服し、ヨーロッパの出場権を獲得することができるのだろうか。彼らの真価が問われるのはここからだ。
(文:安洋一郎)
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