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J1 1か月前

なぜ、いなくなった…。日本の「消えた天才」10人。才能がありながらも、伸び悩んだのは?【Part1】

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 若くして才能を評価された選手でも、長くキャリアを続けられるとは限らない。ケガやプレッシャーなど、様々な理由でプロとしてのキャリアを早期に終えた選手もいる。今回は、かつて天才と称されながら、期待通りのキャリアを送れなかった日本人選手たちをピックアップして紹介する。成績は『transfermarkt』を参照。[2/5ページ]
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MF:比嘉厚平(ひが・こうへい)

比嘉厚平
【写真:Getty Images】

生年月日:1990年4月30日
主な在籍クラブ:柏レイソル、モンテディオ山形

 比嘉厚平は、柏レイソルU-18で育ち、同世代屈指のテクニシャンとして知られた。

 小柄ながらキレのあるドリブルと巧みなボールコントロールを武器に、各年代のサッカー日本代表に選出。2006年のAFC U-17選手権では優勝を経験し、早くから「将来のレイソルを背負う存在」と期待された。

 2007年12月、酒井宏樹とともに翌年度からトップチームに2種登録されることが発表された。

 しかし、その矢先に試練が訪れる。翌2008年1月のU-19カタール国際親善トーナメントに出場する日本代表メンバーに選ばれるも、U-19中国代表との試合中に左膝前十字靱帯損傷、左膝半月板損傷、右膝半月板損傷という重傷を負い、長期離脱を余儀なくされた。

 1年以上の離脱を経て、2009年5月にモンテディオ山形戦でJ1デビューを果たしたものの、この1試合が唯一のJ1出場となった。

 以降はブラウブリッツ秋田や山形への期限付き移籍で復活を目指したが、かつての輝きは戻らなかった。

 2016年、26歳で現役を引退。引退時には「良いことよりも辛いことの方が多かった」「身体をしっかり管理できずにたくさんのケガをした。特にこの 2、3年間はなかなかプレーする事ができず何度も心が折れそうになりました」と率直に語っている。

 現在は山形のジュニアチームでコーチを務める。選手として届かなかった夢を、今は次世代に託し、指導者としてサッカーに携わり続けている。

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