若くして才能を評価された選手でも、長くキャリアを続けられるとは限らない。ケガやプレッシャーなど、様々な理由でプロとしてのキャリアを早期に終えた選手もいる。今回は、かつて天才と称されながら、期待通りのキャリアを送れなかった日本人選手たちをピックアップして紹介する。成績は『transfermarkt』を参照。[4/5ページ]
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FW:平山相太(ひらやま・そうた)
生年月日:1985年6月6日
主な在籍クラブ:ヘラクレス・アルメロ、FC東京、ベガルタ仙台
平山相太は国見高等学校在学時に“怪物”と称され、第82回全国高校サッカー選手権で9ゴールを挙げてチームを優勝に導いた。
高校在学中から年代別代表の常連で、2003年のFIFAワールドユース(現 FIFA U-20ワールドカップ)ではブラジル代表戦でもゴールを決め、世界でも存在感を示した。
2004年2月のアテネ五輪(オリンピック)アジア最終予選では、高校生として唯一U-23代表に選出。日本サッカーの未来を担う存在として注目を浴びた。
高校卒業後はプロ入りせず筑波大学へ進学し、2005年夏にオランダ1部ヘラクレス・アルメロに加入。初年度からリーグ戦8ゴールという結果を残したが、2年目はオフの期間の体重管理に失敗したとされ、構想外となった。
2006年にFC東京に加入し、日本でのプロキャリアを始めた。しかし、Jリーグでは度重なる負傷に悩まされた。
2007年の横浜FC戦では5人抜きを決めるなど非凡な才能を見せたが、怪我の影響もあって継続的な活躍には至らず、2018年に引退した。
引退後は仙台大学に入学、筑波大学大学院でも指導を学び、2024年から仙台大学サッカー部の監督に就任。現在は教壇にも立っている。
同年に放送されたtbc東北放送のインタビューで平山は、「指導者になる方がたくさんいるなかでどう区別していこうかと考え、大学サッカーだけではなく、スポーツ全般を学んで指導者になっていく」ことをFC東京在籍時に考えたと明かしている。
そしてその上で、「選手として恩返しがかなわないので、自分が指導者になったときに恩返しがしたい」と現在の夢を語っていた。
