若くして才能を評価された選手でも、長くキャリアを続けられるとは限らない。ケガやプレッシャーなど、様々な理由でプロとしてのキャリアを早期に終えた選手もいる。今回は、かつて天才と称されながら、期待通りのキャリアを送れなかった日本人選手たちをピックアップして紹介する。成績は『transfermarkt』を参照。[2/5ページ]
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FW:磯貝洋光(いそがい・ひろみつ)
生年月日:1969年4月19日
主な在籍クラブ:ガンバ大阪、浦和レッズ
Jリーグ創設期、日本サッカー界に“天才”と呼ばれた選手がいた。礒貝洋光である。熊本で少年時代から注目され、帝京高等学校では背番号「10」を背負い、全国屈指の司令塔として名を馳せた。
高校卒業後は東海大学に進学し、澤登正朗らとともに1年目から頭角を現す。1992年、Jリーグ開幕を前に中退し、ガンバ大阪に加入した。
1995年にはリーグ戦37試合に出場し13ゴールを記録。ラモス瑠偉の後継者と称されるほどの存在感を放ったが、チームの低迷と度重なるケガが重なり、モチベーションを保つのが難しくなっていった。
1997年に浦和レッズへ移籍するも、同年はリーグ戦10試合で3ゴールという成績にとどまり、1998年に29歳で現役を退いた。
2024年に放送されたMBSのバラエティ番組『あれみた?』では、サッカーを始めた初日にリフティング17回、2日目に77回、3日目に144回を記録したという逸話を披露。その天賦の才を裏付けるエピソードで、共演者を驚かせた。
29歳での引退については、「やろうと思えばまだできたけど、次のステップに進むなら元気なうちがいい」と語る。現役時代の終盤、練習の合間にゴルフのアプローチショットの練習をしていたと明かし、セカンドキャリアにプロゴルファーを選んだのは必然でもあった。
その後は大工、農業と多彩な道を歩んでいる。
突出した才能を持ち、多様な人生を送る礒貝。その“天才”ぶりは今もなお、さまざまな形で顔をのぞかせている。
