
【写真:Getty Images】
1993年に開幕したJリーグでは、数多くの外国人選手がプレーしてきた。見事な活躍をしてクラブの目標達成や発展に貢献した助っ人がいるが、期待に応えられず、ほとんどピッチに立つことなく日本を去った選手も少なくない。今回は、柏レイソルで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。※成績は柏レイソル在籍時のもの。[3/6ページ]
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FW:サーシャ(セルビア)

【写真:Getty Images】
生年月日:生年月日:1972年8月28日
在籍期間:2000年2月~同年5月
Jリーグ成績:2試合0ゴール
セルビア人のFWサーシャは1995年に釜山大宇へ移籍すると、ストライカーとしての才能が開花。190cmを超える長身を活かし、得点を量産した。
その後1999年には、水原三星で26試合18ゴールと驚異的な成績を残し得点王とベストイレブンを獲得すると、満を持して2000年に柏レイソル移籍となった。
しかし、サーシャは出鼻をくじかれてしまう。
右足指の骨折でチーム合流に出遅れると、その後もJリーグに馴染むことができなかった。
そんな同選手はたった2試合のみの出場で、同年5月に水原三星とのトレードでチームから去ってしまった。
Kリーグ得点王の補強が失敗に終わったことはレイソルとしては大誤算だ。
逆に、トレード相手が前年Jリーグ得点王のファン・ソンホンだったのはレイソル唯一の救いだろうか。
Kリーグ復帰後はレイソル移籍前の輝きを取り戻し、城南一和の3連覇に貢献した。
Kリーグで6度の優勝を果たした「優勝請負人」のサーシャがどうしてJリーグで苦しんだのか、歯がゆい気持ちになったレイソルファンは少なくないだろう。