
実は水戸ホーリーホックでプレーした意外なプレーヤーたち【写真:Getty Images】
2025年の明治安田J2リーグの全日程が終了し、水戸ホーリーホックはクラブ史上初となるJ2優勝&J1昇格を果たした。創設から31年の歴史の中で、多くの名プレーヤーが育ち、国内外で活躍を見せてきた。今回は、かつて水戸でプレーした輝かしい実績を持つ選手たちを紹介する。[2/5ページ]
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DF:塩谷司(しおたに・つかさ)
2011年〜2012年8月に水戸ホーリーホックでプレーしていた塩谷司【写真:Getty Images】
生年月日:1988年12月5日
在籍時期:2011年〜2012年8月
公式戦通算成績:63試合5得点2アシスト
37歳となった今なお、サンフレッチェ広島の不動の主力としてJ1最少失点の堅守を支える塩谷司のプロキャリアの礎は、かつて在籍した水戸ホーリーホックで築かれたものだ。
国士舘大学時代の塩谷は、主にボランチやサイドでプレーしていた。
しかし、大学4年時に当時同大学でコーチを務めていた柱谷哲二によってセンターバック(CB)へと転向。ここで守備者としての素質を見出されることになる。
大学卒業時点ではJクラブからのオファーは届かなかった塩谷だが、そこで手を差し伸べたのが大学時代の恩師・柱谷だった。
2011シーズンから水戸の監督に就任した柱谷は、その実力を誰よりも理解しており、迷うことなく塩谷をチームへと呼び寄せたのである。
当時の水戸は大幅なメンバー刷新の真っ只中にあったが、塩谷はプロ1年目からCBとしてスタメンに定着。累積警告による出場停止3試合を除く35試合すべてで先発出場を果たし、抜群の安定感で最終ラインを支えた。
プロ2年目も評価は揺るがず、チームに欠かせない存在として成長を続けると、その活躍ぶりにJ1クラブも注目。シーズン途中の8月に、サンフレッチェ広島への移籍が決定した。
在籍期間こそわずか1年半と短かったものの、無名の大学生が水戸での成長を経て、J1クラブが争奪するCBへと一気に駆け上がっていったインパクトは計り知れないものだった。
塩谷にとって水戸での時間は、後の日本代表入りや海外挑戦、そして現在の広島での不動の地位へとつながる、大きな転機と言っていいだろう。