
レイラック滋賀の田部井悠【写真:Getty Images】
J3・JFL入れ替え戦の第2戦が14日に行われ、1-1のドローに終わった。この結果、2戦合計4-3としたレイラック滋賀FCが悲願のJリーグ入りを果たした。田部井悠は、喜びを噛みしめると同時に、すでに来シーズン以降を見据える。そこに写るのは、弟である涼の背中。二人三脚で歩む双子に、叶えたい願いがあるからだ。(取材・文:藤江直人)[1/2ページ]
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初のJリーグ参入を果たしたレイラック滋賀FC
スタメンに起用されたレイラック滋賀の田部井悠【写真:Getty Images】
敵地・愛鷹広域公園多目的競技場に鳴り響いた、悲願達成を告げる主審のホイッスルを聞いた瞬間、レイラック滋賀FCの田部井悠の脳裏にはまったく異なる2つの感情が駆け巡っていた。
ひとつは滋賀県に初めてJクラブを誕生させた、歴史的な偉業に対する万感の思いだった。
「Jリーグに上がるべきチームだとずっと思っていたので、それがようやく実って本当にうれしい」
もうひとつは自分自身の現在地やチーム内での立ち位置に対する、危機感にも通じる思いだった。
「J3を相手に戦うにはまだまだ力が足りない。サッカー選手として進化していかなきゃいけない」
今シーズンのJ3リーグで最下位に沈んだアスルクラロ沼津と、日本フットボールリーグ(JFL)でクラブ史上最高位の2位へ躍進した滋賀が対峙した、2025 J3・JFL入れ替え戦で歴史が塗り替えられた。
ホームの平和堂HATOスタジアムで7日に行われた第1戦を3-2で制した滋賀が、敵地に乗り込んだ14日の第2戦でも勢いそのままに22分に先制。直後に同点とされたものの最後まで主導権を渡さず、試合終盤に2人の退場者を出した沼津と1-1で引き分けて、2戦合計4-3のスコアで歓喜の雄叫びをあげた。
結果的に第2戦を引き分けた滋賀だが、前線から激しいプレスを繰り返すなど、試合開始直後からアグレッシブに攻め立てた。
第1戦に続いてダブルシャドーの一角で先発した田部井が言う。
ケガに苦しめられたシーズン。それでも監督の信頼は…

ピッチに入場するレイラック滋賀の田部井悠【写真:Getty Images】
「みんなと『勝って決める』と話し合っていました。受けに回ったらやられてしまうし、だからこそ2戦を通じてまだ0対0だと、まずは1点を取りにいこう、と。その気持ちが先制点につながったと思う」
田部井にとっては今シーズンで実は5試合目の出場だった。怪我の連鎖に苦しめられた末に、リーグ戦では30試合中でわずか3試合の出場に、プレータイムの合計も160分にとどまっていた。
しかも、リーグ戦でピッチに立ったのは、前半だけでベンチへ下がった9月27日のミネベアミツミFC戦が最後。それでも滋賀を率いる角田誠監督は、入れ替え戦で2試合とも田部井を先発で起用した。
第1戦は62分で、第2戦は55分で、ともに最初の交代カードを介して田部井はベンチへ下がっている。2戦を通じてゴールもアシストも記録していない。それでも26歳のアタッカーは指揮官に感謝する。
「今シーズンは本当に怪我が多かったけど、それでも監督が信頼してくれて使ってくれた。得点やアシストの部分ではチームに貢献できなかったけど、最低限、自分の特徴ややるべき部分は明確に出せたと思う」
敵地のゴール裏に駆けつけた滋賀の約800人のファン・サポーターのなかに心強い援軍がいた。J1のファジアーノ岡山でプレーする双子の弟、涼が駆けつけていたのを田部井は試合後に知った。
弟・涼との夢「いまも僕の一番の原動力」
前橋育英高校時代の田部井悠と弟・田部井涼【写真:Getty Images】
「最初はわからなかったんですけど、後になって来てくれていたと知りました。予定があったからか、涼はすぐに帰っちゃったみたいですけど、電話で『おめでとう』と伝えてくれました。うれしいですよね」
群馬県前橋市で生まれ育った田部井ツインズは、tonan前橋、前橋FCに続いて前橋育英高校でも共演。3年次の2017年度に出場した第96回全国高校サッカー選手権大会では、同校の悲願だった初優勝を果たした。
卒業後は別々の道を歩み始め、田部井は早稲田大学から2022シーズンに地元のザスパクサツ群馬に加入。涼は法政大学から同年に横浜FCへ加入し、ともにJ2の舞台からプロのキャリアをスタートさせた。
迎えたプロ2年目の2023シーズン。田部井は背番号を「49」から「41」へ変更し、涼は期限付き移籍した岡山で志願する形で「41」をつけた。兄弟で申し合わせて同じ番号にしたと田部井が明かす。
「僕は『14』が好きで、大学時代も『14』をつけていました。涼もずっと『14』でしたけど、プロでは他の選手との関係もあってお互いにつけられなかったので、じゃあ数字をひっくり返して一緒につけようと」
そこには「いつかお互いにJ1の舞台で」という願いが込められていた。田部井が続ける。
「そこはいまも僕の一番の原動力です。理解者でありながらよきライバルでもあるし、オンラインゲームでもよく競り合っている。ゲーム中に通話もできるのでサッカーの話もよくしている。双子でよかったです」
しかし、背番号「41」の競演は半年ほどで終わりを告げた。
リーグ戦で出場機会を得られないまま、田部井は2023年7月に滋賀へ育成型期限付き移籍。シーズン終了後には群馬から戦力外を通告された。
同年オフには合同トライアウトに参加。2024年1月に滋賀へ加入した田部井は、ここまでの自身のキャリアを「Jリーグで通用しなくて、レイラックに拾ってもらった」と振り返りながらこう続ける。