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J2 3時間前

「自分にはプラスでしかなかった」水戸ホーリーホックに走った衝撃が齋藤俊輔を突き動かした。「それがすべての要因」【コラム】

シリーズ:コラム text by 藤江直人 photo by Getty Images

水戸ホーリーホック、齋藤俊輔
水戸ホーリーホックの齋藤俊輔【写真:Getty Images】



 クラブ史上初のJ1昇格を果たした水戸ホーリーホック。その快進撃の裏で、齋藤俊輔にとっても今季は大きな転機となった。前半戦は控えに回りながらも、シーズンが進むにつれて存在感を増し、J2ベストイレブン初受賞という結果で飛躍を証明した。成長著しい20歳は、充実のシーズンを振り返りながら、その先にある未来についても語っている。(取材・文:藤江直人)[1/2ページ]
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齋藤俊輔が振り返るターニングポイント

水戸ホーリーホック 齋藤俊輔

J2ベストイレブンを受賞した水戸ホーリーホックの齋藤俊輔【写真:Getty Images】

 所属クラブと代表チームの両方で、すべてにおいて充実していた今シーズンをあらためて振り返ってみる。不完全燃焼が続いた前半戦から、右肩上がりに転じたターニングポイントはどこなのか。

 21日から千葉市内で合宿中のU-22日本代表に招集され、22日に開催された2025 J2アウォーズではベストイレブンを初めて受賞した水戸ホーリーホックのホープ、20歳の齋藤俊輔の答えは決まっていた。

「津久井選手の移籍ですね」

 クラブ新記録を更新する8連勝をマークするなど、前半戦を2位で折り返す快進撃を演じた水戸で群を抜く存在感を放ったのが、J3のアスルクラロ沼津から完全移籍で加入した津久井匠海だった。



 左右のサイドハーフやウイングバックですぐに定位置を獲得した津久井は、身長180cm・体重75kgのサイズを駆使したダイナミックなプレーを披露。開幕から18試合連続で先発して2ゴールをあげた。

 しかし、長丁場のシーズンを折り返す直前の6月10日にRB大宮アルディージャへ電撃移籍。同じJ2リーグを戦うライバルチームへの津久井の移籍は、ギアをあげようとしていた水戸に大きな衝撃を与えた。

 ただ一人、齋藤は違った。津久井の離脱を「自分にはプラスでしかなかったですね」と振り返る。

「自分と同じポジションだったので…」

水戸ホーリーホックの齋藤俊輔
水戸ホーリーホックの齋藤俊輔【写真:Getty Images】

「津久井選手の移籍とともに、自分のところのポジションが空いた。誰かが絶対にそこに入る、という状況で自分がしっかりとレギュラーをつかめた。それがすべての要因だと思っています」

 横浜F・マリノスの下部組織から、神奈川県の強豪・桐光学園高校をへて水戸に加入して2シーズン目。背番号をルーキーイヤーの「38」から「8」に変更するなど、チーム側から大きな期待を寄せられていた齋藤は、18試合目までで11試合に出場。そのうち先発は5回、プレータイムは457分にとどまっていた。

 一転して津久井が移籍してからは、リーグ戦で出場した16試合すべてが先発。プレータイムも倍以上の1185分へ大幅に伸ばし、その間に7ゴールを上積みして計8ゴールで2年目の戦いを終えた。

 そして、自らターニングポイントにすえる津久井の移籍を受けて、齋藤はこんな思いを胸中に抱いた。



「周りを見たときに自分しかいない、自分が代わりを補っていかなきゃいけないと。先発で出場し続けていた選手が抜けていっただけでなく、自分と同じポジションだったので、なおさらそう思いました」

 174cm・68kgの齋藤はサイズだけでなく、スピードやアジリティーを駆使したドリブルなど、プレースタイルのすべてが津久井と異なる。それでも齋藤は自らに強く言い聞かせた。ピンチはチャンスだ、と。

 森直樹監督(当時)が全員に強く求める守備を含めて、短期間で瞬く間に齋藤が覚醒した証が津久井の穴を補って余りある活躍であり、8月度、9月度と続けて獲得したJ2リーグ月間ベストゴールだった。

 実はレギュラーに定着する前の5月度を含めて、齋藤は3度も月間ベストゴールを獲得している。

「去年からは想像できないくらい…」

水戸ホーリーホックの齋藤俊輔

J2優勝を果たした水戸ホーリーホックの齋藤俊輔【写真:Getty Images】

 特に9月17日のベガルタ仙台戦の17分に決めた今シーズン7点目は、9月のベストゴールに加えてJ2の年間最優秀ゴールに選出された。敵陣の左サイドで3人に囲まれる苦境を、個人技を駆使しながら単独で突破。左45度の位置から対角線上のゴール右角の一番上を撃ち抜く、戦慄すら覚えるスーパーゴールだった。

 そして、水戸の主力としてホームのケーズデンキスタジアム水戸で行われたJ2最終節で大分トリニータを撃破。クラブ創設31年目にして悲願のJ1昇格を決めた直後にJ2優勝も果たした。

 年代別の日本代表では9月に南米チリで開催されたFIFA U-20ワールドカップで、ラウンド16までの4試合すべてで出場。11月にはパリ五輪に続いて指揮を執る大岩剛監督のもと、2028年のロサンゼルス五輪へ向けて活動を開始していたU-22代表のイングランド遠征に初招集された。



 今月下旬のIBARAKI Next Generation Cup2025に臨むU-22代表にも引き続き招集。まもなく幕を閉じようとしている1年間を、齋藤はこんな言葉で振り返っている。

「最初は非常に難しい時期を過ごしていたなかでワンチャンスをものにして、そこからしっかりと結果に結びつけられた。代表でもしっかりと自信をつけて、去年からは想像できないくらい成長できたと思う」

 具体的に自分のどこが成長したと実感しているのか。代表と水戸では違うと齋藤は説明する。

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