
Jリーグ 禁断移籍5選【写真:Getty Images】
これまで、Jリーグの移籍市場において話題となった取引がいくつもあった。その歴史を紐解くと、全ての移籍が必ずしも歓迎ムードの中で行われたわけではないことが分かる。今回は、波紋を呼んだ“禁断の移籍”を5つピックアップして紹介する。※データは『Transfermarkt』『Jリーグ公式サイト(J1.LEAGUE STATS)』を参照[4/5ページ]
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FW:齋藤学(さいとう・まなぶ)

2018年時代の齋藤学【写真:Getty Images】
生年月日:1990年4月4日
移籍先:横浜F・マリノス→川崎フロンターレ(2018シーズン)
移籍日:2018年1月12日
「Jリーグ史上屈指の“禁断の移籍”をした選手は?」と問われて、齋藤学の名前を挙げるファンは決して少なくないだろう。
生え抜き選手として横浜F・マリノスで大きな期待を受けていた男は、2018シーズン開幕前にまさかの決断を下している。
小学生の頃から一貫してマリノスの育成組織に所属し続けた齋藤は、2009シーズンにトップチームへ正式昇格を果たす。
2011シーズンに期限付き移籍先の愛媛FCで武者修行をした後、翌2012シーズンに復帰。2017年2月にクラブと契約更改した際には、キャプテンを任されると共に、前年まで“レジェンド”中村俊輔氏が付けていた「背番号10」を継承した。
ユース出身者がエースナンバーを背負うとあって、マリノスサポーターの期待は高まる一方だった。
しかし、2018年1月に齋藤が川崎フロンターレに完全移籍すると、サポーターの愛情は憎悪に転換された。
前年、齋藤は右膝前十字靭帯損傷の影響で長きに渡り戦線を離脱。キャプテンマークを託された10番のチームへの貢献度はお世辞にも高くなかった。
しかも、マリノスと川崎は神奈川県を本拠地とするライバル同士。おまけに契約期間満了後に川崎へと移籍したため、マリノスが受け取る移籍金はゼロだった。
育てのクラブに対する背信行為とも取れる移籍に、マリノスサポーターは激怒。SNS上では罵詈雑言が飛び交う事態となった。
齋藤は「『屑、死ね、裏切り者、怪我治るな』など何を言われてもしょうがない。そう思っていましたが、ひとつだけ言わせてもらいたい。今までマリノスの選手として闘ってきたこと、これだけは否定されたくない」(自身のインスタグラムより)と複雑な胸中を明かした。
過度な誹謗中傷は避けなければならないが、この言葉はマリノスサポーターの反応が激烈だったことを物語っている。