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もしサッカーがなかったら…。野球選手としてWBCに出ていたかもしれないJリーガー5人。その人物とは?

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images
もしサッカーがなかったら…。野球選手としてWBCに出ていたかもしれないJリーガー
もしサッカーがなかったら…。野球選手としてWBCに出ていたかもしれないJリーガー【写真:Getty Images】



 井端弘和率いる侍ジャパンは、大会連覇を目指してワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に臨んでいる。もしこの国にJリーグがなく、彼らがバットを手に育っていたら、侍のユニフォームを着ていたのではないか――。今回は、そんな「野球選手になっていたかもしれない」サッカー選手をピックアップして紹介する。[5/5ページ]
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GK:鹿野修平(しかの・しゅうへい)

鹿野修平(いわきFC在籍時)
鹿野修平【写真:Getty Images】


生年月日:1999年8月27日
所属クラブ:栃木SC

 Jリーグの存在がなければ、別の競技でその才能を開花させていたかもしれない選手の筆頭として挙げられるのは、栃木SCの鹿野修平だ。

 2022年、流通経済大学からいわきFCへ加入しプロキャリアをスタートさせた鹿野の背後には、かつて白球を追った父の存在がある。

 父の鹿野浩司は、1989年のプロ野球ドラフト会議において、5位指名でロッテオリオンズ(現・千葉ロッテマリーンズ)に入団した内野手だった。



 プロ野球の世界では一軍出場を果たすことなく1994年に現役を引退したが、高校野球の歴史にはその名を深く刻んでいる。

 帝京高等学校の主軸として出場した1989年夏の「第71回全国高等学校野球選手権大会」決勝。仙台育英高等学校との一戦は、両校譲らぬ投手戦の末に0-0で延長戦へ突入した。

 10回表、均衡を破ったのが鹿野浩司のセンター前タイムリーヒットである。この一打で2点を奪った帝京は悲願の初優勝を成し遂げた。

 そんなベースボーラーを父に持つ鹿野は、2025年にいわきから栃木SCに期限付き移籍で加入し、その後完全移籍に切り替わった。

 現状、正GKの座を完全につかむまでには至っていないが、至近距離からのシュートに対する反射神経には定評がある。

 このあたりは、鋭い打球に反応する内野手としてならした父の血脈を感じる要素と言えるだろう。

【著者プロフィール:編集部】
国内外のサッカーを専門に取材・執筆・企画する編集チーム。戦術分析、ニュース報道、コラム制作からデータリサーチまで、各分野のスペシャリストが在籍しており、欧州主要リーグ、サッカー日本代表、Jリーグはもちろん、女子サッカーや育成年代まで幅広いテーマをカバーする。現地取材で得たリアルや、データを活用したユニークなコンテンツなど、読者に“今、本当に知るべきサッカー情報”を届けることを使命とし、読者に寄り添い、サッカーをより深く、より立体的に楽しめるコンテンツづくりを目指している。
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【了】

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