この連載では、日本代表を現地で取材し続けるスポーツライターのミムラユウスケが、カタールW杯後からFIFAワールドカップ26(北中米W杯)までの日本代表の挑戦と苦悩を描き出す。FIFAワールドカップカタール2022(カタールW杯)後、サイドバックのボランチ化に取り組んだ日本代表だったが、選手たちの混乱を招く結果となった。コーチ陣と選手たちの間に、なぜ勘違いが生まれたのだろうか。(取材・文:ミムラユウスケ)[1/2ページ]
——————————
混乱を招いた要因と後日談
その答えは森保一監督のチーム作りの根幹と関係している。
まず、その根幹について考えてみよう。森保監督は細かい決めごとを作らないために、選手たちが良さを発揮しやすい。チームとしての決まりごとを設けすぎると、それを遂行することに意識が向き、選手が本来持っている良さが出づらくなることがある。
アルベルト・ザッケローニ監督時代の面白い話がある。就任して間もない時期、2010年12月の練習でチーム戦術をたたきこもうとしてプレーを事あるごとに止め、説明をしていたら、選手たちが寒さに震えていたこともあった。一方、森保監督の場合は、「〇〇のようなサッカーがしたい」というような哲学を大事にするタイプではないため、そこで選手たちが良さを出しやすい環境を作ることに重きを置いてきた。
以上を踏まえたうえで、この2023年3月のトライについて考えてみる。それまではそこまで細かい決まりごとや戦術の縛りを設けなかった監督のもとでの練習で、一気に細かいルールが設定された。その差があまりに大きかったことも、選手たちを困惑させる一因となった。
ただ、興味深いのは、この話に続きがあることだろう。
およそ半年後、ドイツとの試合に勝った直後のこと。鎌田大地と守田英正ら中盤の中央に構えた3人のバランスについて振り返るとき、こう話したのだ。
「相手がどうプレッシャーをかけてくるのかを上手く見て、プレッシャーをかけてきたタイミングで、動き出すことなどは常に意識はしていたし、距離感が良かったと思うし。たまにモリ(守田)が高い位置に行って、そこにパスが入ったりもしていたし、『サイドバックが中に入って……』というシーンもあったと思うので。今までやってきたこと、サイドバックが中に入ったりとか、外を取ったり……とか、インナーラップとかも含めて、使い分けはうまくやれていたと思うので。少しずつ、チームとしてのオプションが増えてきていると言うような感覚ですかね」
森保一監督のアプローチの変化
つまり、短期的に見れば、サイドバックがボランチ化するという試みは失敗に終わった。ただ、中長期的には攻撃時のオプションを増やしてくれる可能性があると一部の選手たちは感じていたというわけだ。
ただ、意図的にそういう状況を作り出すためには、指導する側に、明確かつ効率的な練習メニューがないといけない。しかし、少なくとも、現時点でUEFAチャンピオンズリーグ(CL)に出たり、5大リーグでプレーするような選手に当たり前に植え付けられる日本人指導者はいない。将来的な監督選びのなかでは、そういう指導をできるコーチングスタッフがいるというのも一つの基準になるはずだ。
ここまでの話を総括しよう。
森保監督の立場は第二次政権になってから(第一次政権の序盤と比較して)大きく変わった。具体的には、自ら細かく指示をするヘッドコーチ型から、細かい指示はアシスタントコーチ陣に任せて、それを統括するマネージャー型への変化だ。これはすっかり認知されている。
ただ、このときの苦い経験を踏まえて、戦術的に斬新なトライをするようなケースは基本的には影をひそめることになった。
「世界一を目標に」は優勝宣言ではなかった?
さて、このときの活動で振り返っておかなければならないテーマがもう1つだけある。これは、森保監督流のマネージメントにかかわる大きなトピックスである。
それが、森保監督の掲げる目標設定についての奇妙な現実だ。
3月15日、活動再開にあたってのメンバー発表の記者会見の席で森保監督はこう宣言している。
「2050年までに日本サッカー協会がW杯で日本代表が優勝するという宣言をしているので、そこに向けてわれわれはやるべきかなと思っている。世界一というところを目標に、自分たちがいま持っているものをどれだけ上げていけるかを常に考えていかないといけない。
現実的に言うと、ベスト16の壁は乗り越えられていないので越えていかければいけないが、W杯でチャンピオンになること、世界一を目標にやっていくことは考えながら、今の力を最大限伸ばしていくこと、上げていくことをやれれば」
そして3月20日から代表選手が集まって活動がスタートすると、選手に向けたミーティングのなかでは、このように熱弁をふるった。



