フットボールチャンネル

コラム 2時間前

「日本女子サッカーの歴史を変えた」澤穂希が日本サッカー殿堂入り、2011年のなでしこ世界一から次世代へ受け継がれるもの【コラム】

シリーズ:コラム text by 竹中愛美 photo by Getty Images,Editor

2011年7月17日 FIFA女子ワールドカップ決勝でアメリカを破り、世界一に輝いたなでしこ 澤穂希がトロフィーを掲げる

なでしこジャパンのW杯優勝に大きく貢献した澤穂希【写真:Getty Images】



 9月1日、元なでしこジャパン(日本女子代表)の澤穂希が日本サッカー殿堂入りを果たした。2011年のFIFA女子ワールドカップ(W杯)でなでしこジャパンの初優勝に貢献し、決勝では劇的な同点ゴールを決めた澤は、式典で「日本女子サッカーの歴史を変えた試合だった」と振り返った。あれから15年。あの日を見た少女たちは、いま何を受け継いでいるのか。澤が日本女子サッカーに残したものは何か、改めて考える。(取材・文:竹中愛美)[1/2ページ] 

「W杯の決勝より緊張」。澤穂希が日本サッカー殿堂入り

26年9月1日 第22回サッカー殿堂式典にて 澤穂希が殿堂入りを果たし、宮本恒靖会長から盾を受け取る

日本サッカー殿堂入りを受けて笑顔を見せる澤穂希【写真:編集部】


「非常に緊張しておりまして、ワールドカップ(W杯)の決勝より緊張しております。両親をはじめ、夫、監督、チームメイト、今まで女子サッカーに携わってくれたすべての方々に心からお礼を申し上げます。

 こうして日本サッカー殿堂の一員に加えていただけたことをとても光栄に思っております。これからも日本サッカーの発展に少しでも貢献できるように頑張って参りたいと思います」

 会場の笑いを誘いながらも言葉を紡いだのは、数々の大舞台を経験してきた澤穂希だった。

 9月1日に行われた第22回日本サッカー殿堂掲額式典。澤は、今西和男氏、田嶋幸三氏とともに殿堂入りを果たした。選手選考では今年度から女子部門の投票が始まり、その初年度に選ばれた。

 澤が残してきた数字は、あまりにも大きい。なでしこジャパン(日本女子代表)では、15歳で初選出され、FIFA女子W杯には6大会連続、オリンピックには4大会出場。国際Aマッチ205試合出場83得点は、2026年現在、男女を通じて歴代最多の記録だ。

 なかでも、やはり2011年の記憶は特別なものとして刻まれているのではないだろうか。

 ドイツで行われた女子W杯。主将としてチームをけん引し、日本サッカー史上初のW杯優勝に貢献。5得点1アシストを記録し、日本人初の得点王とMVPを獲得した。

 式典で「一番印象に残っているゴールや試合」を聞かれた際に、澤は簡単には一つを選べないとしながらも、特別な意味を持つゴールとして2011年W杯決勝の同点弾を挙げた。

 アメリカとの決勝。90分間で決着はつかず、1-1のまま延長戦に突入した。日本は延長前半の104分、アメリカに失点を許し、1点を追いかける展開に。

 日本1点ビハインドで迎えた延長後半の117分。宮間あやのコーナーキックに澤がニアサイドに走り込み、右足を伸ばす。澤が触れたボールは相手に当たり、アメリカゴールに吸い込まれていった。日本を救った起死回生の同点ゴールは、その後のPK戦勝利、そして日本女子サッカー史上初の世界一へとつながった。

「日本女子サッカーの歴史を変えた」。澤穂希が語った2011年W杯決勝のゴール

2011年7月17日 FIFA女子ワールドカップ決勝 vsアメリカ 試合終了間際に劇的な同点ゴールを挙げるなでしこジャパンの澤穂希

2011年7月17日、アメリカとの女子W杯決勝で劇的同点ゴールを決めた澤穂希【写真:Getty Images】


「現役生活でたくさんのゴールをしましたが、やはり2011年の女子W杯の決勝で決めた同点ゴールが私にとっては印象深いゴールです。もちろん、皆さんの支えがあって、あのゴールを決めることができたんですけれど、日本女子サッカーの歴史を変えた試合だったかなと思います」

 ただし、自分一人の力で決めたゴールだとは考えていない。

「あのゴールはたまたま自分がゴールを決めたという形になりましたけど、本当にみんなの思いが乗ったゴールになったんじゃないかなと思います」

 このゴールについて詳しく振り返った際には、「あれは本当に宮間様様です。宮間じゃなかったら、そこには絶対蹴れなかったと思いますし、宮間じゃなかったらあそこに自分はたぶん入ってなかったなと思います」と切り出し、こう続けた。

「信じてもらえないかもしれないんですけど、本当にあそこのコースに引きつけられたんですよ。そこに入れば絶対にゴールができるっていう、アスリートでいうゾーンに入って」と宮間からボールが入ってきた瞬間、自分がそこに入ればゴールになるという感覚があったことも明かした。

 映像で見ると一瞬の出来事だが、自身の感覚では時間がスローモーションで流れ、周囲の音も消えていくような「無の状態」だったという。

 宮間のボールがなければ決められなかった。チームメイトがつないできたからこそ、最後に自分のところへボールが来た。澤にとって、あのゴールは自分のキャリアを象徴するだけではなく、当時のなでしこジャパン全員の思いが結集した瞬間だった。

 もう一つ印象的だったのが、そのゴールを生んだ「原点」の話だ。

 小学生の頃、兄のサッカーの練習を見に行ったとき、蹴ったボールがゴールに入った。それが、澤にとって最初のゴールで、サッカーをはじめるきっかけとなった。

 そこから中学生で読売ベレーザ(現日テレ・東京ヴェルディベレーザ)に加入し、男子選手とのトレーニングも経験した。特にラモス瑠偉氏との出会いは「一番衝撃を受けた」という。真剣勝負で身体をぶつけてくるラモス氏から「サッカーは男性も女性も関係ない、年齢も関係ない」と言われた経験が、自身の競争心をさらに強くしたという。

 一人の少女がボールを蹴ったところから始まった物語はその後、日本女子サッカーの歴史を変えるゴールへとつながった。

 あれから15年。そのゴールを含む2011年の優勝を見ていた少女たちは、いま、どこにいるのか。

「こうやって優勝することができるんだ」。長谷川唯が2011年の澤穂希から受け取ったもの

『ジュニア版 夢をかなえる。』×『SMILE わたしを笑顔にする40の思考と習慣』のダブル刊行記念トークショー&サイン会に登壇した長谷川唯と澤穂希

自身の書籍発売イベントで長谷川唯とトークショーを行った澤穂希【写真:編集部】


 その一人が、現在のなでしこジャパンをけん引する長谷川唯だ。

 7月11日に行われた澤とのトークイベントで、長谷川は2011年当時を振り返っている。

 当時14歳。ベレーザの育成年代でプレーしていた長谷川は、なでしこジャパンの試合を見ながら、いつか自分もあの舞台に立ちたいと思うようになった。

 もちろん、それ以前から「サッカー選手になりたい、W杯に出たい、優勝したい」という思いはあった。

 ただ、2011年を境に、その夢の意味が変わった。

「こうやって優勝することができるんだっていうのを、本当に2011年のなでしこジャパンのチームの人には見せてもらえたので、そこから現実的に考えられるようになりました」

 世界一になれる――。

 それまで漠然としていた「夢」が、実際に手を伸ばせる「目標」になった。

 なでしこジャパンが世界一に輝いてから15年。かつて澤たちの姿を追いかけた少女が、いまは自らなでしこジャパンの中心選手となった。

 長谷川自身も、「2011年の影響を受けた世代の一人」だと感じる一方で、まだ次の世代に十分に伝え切れていないものがあるとも語っていた。

 それは、技術や戦術だけではない。

 澤も現在のなでしこジャパンについて、個々の技術レベルは2011年当時より高くなっていると評価しながら、世界一になるためには、「最後のところの例えば、ハングリー精神みたいな。本当にやばいなというときにどれだけ体を張ってゴールを死守できるか。ここぞで(ゴールを)入れたいときに入れる決定力」といった部分も必要だと話していた。

 長谷川が「粘り強さとか、本当に頑張るとか、基礎的なところ」と表現したものと、澤が「気持ち先行型」と自らを表現したこと。

 世代は違っても、そこには確かに重なる部分がある。

 2011年、澤たちは世界一という景色を見せた。15年後、その景色を見た少女は、今度は自分がその景色を目指す側にいる。

 そして、澤自身もまた、その先を見始めている。

1 2

KANZENからのお知らせ

scroll top