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コラム 14時間前

6歳で偉大な父を失い、自らも伝説に。インテル黄金期の象徴サンドロ・マッツォーラの生涯【カルチョを読む】

サンドロ・マッツォーラ
9月19日に病気のため83歳で死去したサンドロ・マッツォーラ【写真:Getty Images】



 イタリア・サッカー史にその名を刻んだサンドロ・マッツォーラが、83歳でこの世を去った。幼くして偉大な父を失いながら、インテルのバンディエーラとして黄金時代の中心を担い、アッズーリでも一時代を築いた。その死を悼む声がイタリア中に広がる一方、追悼の場では思わぬ騒動も起きた。数々の栄光を手にし、伝説となった名手の生涯を振り返る。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]

インテルに全てを捧げたバンディエーラ

サンドロ・マッツォーラ
デビューから引退までインテル一筋でプレーしたサンドロ・マッツォーラ【写真:Getty Images】



 イタリア・サッカー界の巨星が逝った。インテルのバンディエーラであり、アッズーリのレジェンド、アレッサンドロ(通称サンドロ)・マッツォーラが長い闘病生活の末、9月19日に死去。享年83歳だった。

「チャオ サンドロ、永遠のバンディエーラ」。インテル公式サイトはこうして別れを告げた。

 サンドロは、1940年代に圧倒的な強さを誇り、“グランデ・トリノ(偉大なるトリノ)”と呼ばれたACトリノ(現トリノFC)でカピターノを務めたヴァレンティーノ・マッツォーラの息子である。

 ヴァレンティーノは、サッカー史上最高の「10番」の一人、そして史上最高のサッカー選手の一人と称されている。

 しかし、偉大な父は、「スーペルガの悲劇」と呼ばれる飛行機事故(ACトリノの選手18名と監督・スタッフを含む乗員・乗客31名全員が犠牲となった大惨事)によって命を落とした。享年30歳。サンドロがまだ6歳の時であった。

 1942年11月8日生まれのサンドロもまた、父の後を追うようにサッカーに没頭し、そして、イタリア・サッカー史に名を刻む名選手の一人となる。

 だが、サンドロは、父が活躍したグラナータ(ACトリノのチームカラーである柘榴色)でプレーすることはなく、インテルにすべてを捧げた。

“グランデ・インテル”の象徴に

サンドロ・マッツォーラ
“グランデ・インテル”を牽引したサンドロ・マッツォーラ【写真:Getty Images】



 サンドロがインテルでデビューを飾った60年代の始め、ネラッズーリは長い低迷期にあった。1953/54シーズンのスクデット獲得を最後に、タイトルから見放されていた時だった。

 しかし、サンドロがレギュラーとして活躍し、10得点を記録した1962/63シーズンに9年ぶりのセリエA優勝を成し遂げた。名将エレーニオ・エッレーラの就任、同い年のDFジャチント・ファッケッティとサンドロの加入とともに、“グランデ・インテル(偉大なるインテル)”の時代が幕開けした。

 元インテルの会長でサンドロよりも2歳若いマッシモ・モラッティは、若い頃から特徴的だった口ひげに由来する「バッフォ」の愛称で親しまれたサンドロをこう回想する。イタリア紙『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』(以下、『ラ・ガッゼッタ』)のインタビューに答えている。

「ドリブルと、非常に速いシュートが私は好きだった。力強いシュートも多かったが、彼を唯一無二の存在にしていたのは、その技術。あの素早い足の振りによって、いつも相手DFに対応する時間を与えなかった」

 それでは人間としては、どんな人物だったのだろうか。

「内向的ではなかったが、かといって仲間といつも一緒にいるタイプでもなかった。非常にプロ意識が高く、素朴な人柄だった。気取ることもなく、自らの才能と努力の結果として成功を手にした人たちのグループの一員だった。あの仲間たち全員にとって、何もかもが自然なことだった。彼らが非常に優れた選手だったことで成功を収めることができたんだ」

欧州連覇、届かなかったW杯

サンドロ・マッツォーラ
W杯決勝ではペレ率いるブラジルと対戦したサンドロ・マッツォーラ【写真:Getty Images】



 1963/64シーズンには、1955年から始まったUEFAチャンピオンズカップ(チャンピオンズリーグの前身)で初優勝を遂げる。7ゴールで大会得点王にもなった。

 翌シーズンも欧州の頂点に立っただけでなく、スクデットも獲得し、さらにはインデペンディエンテとのインターコンチネンタルカップを制し、世界王者に輝く。サンドロは時代の寵児となった。

 モラッティは、当時を思い返す。

「1966年12月8日、チャンピオンズカップのブダペストで決めたゴールは決して忘れることができない。ヴァシャス(ハンガリー)の守備陣を、GKまで含めて2度ドリブルでかわした。まるでボールが足にくっついているかのようだった。真似ることのできないプレーだった」

 アッズーリでも必要不可欠な選手だった。

 すぐに中心選手の一人となり、1歳下のミランのジャンニ・リヴェーラ、2歳下のCSカリアリ(現カリアリ・カルチョ)のジージ・リーヴァ、そしてもう一人の偉大なインテリスタ、ファッケッティらと共にイタリア・サッカーの一時代も築いた。

 1968年、地元開催のヨーロッパ選手権では、決勝でユーゴスラヴィアを倒し、初めて欧州王者になった。しかし、これだけのタレントを擁しながらも、サンドロたちに届かなかったものがある。それはワールドカップだ。

 1970年ワールドカップ、西ドイツとの準決勝。歴史に残る世紀の一戦。

 イタリアのフェッルッチョ・ヴァルカレッジ監督は、マッツォーラを前半限りで下げ、後半からリヴェーラを投入するという戦略だった。これは当時、大きな議論となった采配だった。延長戦の末、4-3で決着がついた。勝ったのはイタリアだった。

 優勝した1938年以来となるワールドカップ決勝進出。だが、西ドイツとの死闘を繰り広げたイタリアには、もはや“王国”に抗うだけの力は残されていなかった。

 優勝したのは王様ペレを擁したブラジルだった。サンドロの代表デビュー戦は1963年5月12日のブラジル戦だった。先発し、PKによるゴールで3-0と快勝。しかし、決勝ではフル出場したが、無残な形でタイトルを逃した。

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