
9月19日に病気のため83歳で死去したサンドロ・マッツォーラ【写真:Getty Images】
イタリア・サッカー史にその名を刻んだサンドロ・マッツォーラが、83歳でこの世を去った。幼くして偉大な父を失いながら、インテルのバンディエーラとして黄金時代の中心を担い、アッズーリでも一時代を築いた。その死を悼む声がイタリア中に広がる一方、追悼の場では思わぬ騒動も起きた。数々の栄光を手にし、伝説となった名手の生涯を振り返る。(文:佐藤徳和)[2/2ページ]
「あれが我々のミラノだった」

ライバルであり盟友でもあったサンドロ・マッツォーラとジャンニ・リヴェーラ【写真:Getty Images】
クラブチームでは戦友であり、アッズーリでは盟友であった“ゴールデンボーイ”ことリヴェーラも、『ラ・ガッゼッタ』のインタビューでこう振り返っている。
「並外れた選手であり、チャンピオン、そして友人だった。私たちを分けていたのは、ミラノ・ダービーだけだ。私がミランで、彼がインテル。彼は彼の側で、私は私の側で、たくさんのものを勝ち取った。カップ、スクデット、トロフィー、得点王。あれが我々のミラノだった」
「サンドロは私をリスペクトしてくれたし、私も彼をリスペクトしていた。私たちはお互いが好きだった。ずっと連絡を取り合った。最近もそうだった。電話やメールで。いろいろなことを話した。私たちは人生で最も素晴らしい時期を一緒に過ごした」
現役引退は1977年。スクデット4回、チャンピオンズカップとインターコンチネンタルカップをそれぞれ2回、引退までに獲得した。
「サンドロはインテルにとってすべてだった」
モラッティの言葉がすべてを物語る。
スパイクを脱いだ後は、インテルで1977年から1984年まで取締役を務め、その後ジェノアでクラブ運営に携わるなど、フロントとしての仕事に就いた。マッシモ・モラッティがインテルに加わると、スポーツディレクターに任命され、“フェノーメノ(怪物)”ことロナウドの獲得に尽力した。
イタリアの公共放送局『Rai』などでもコメンテーターや評論家を務め、1982年と2006年のワールドカップ決勝でもコメンテーターを担った。1982年には『テレモンテカルロ』で、2006年には『Rai』で解説を行い、自ら果たせなかったアッズーリの世界制覇を実況席から見守った。
追悼の場で起きた恥ずべき騒動

セリエAの第5節、各スタジアムでサンドロ・マッツォーラへの黙祷が捧げられた【写真:Getty Images】
セリエAの第5節では、キックオフ直前にサンドロのために黙祷が捧げられることが決まった。しかし、20日、恥ずべき行為が起こった。
ユヴェントス対アタランタの一戦、黙祷が行われると、ユヴェントスのゴール裏のサポーターたちが、彼らにとっての英雄である、ガエターノ・シレア、アンドレア・フォルトゥナート、ジャンニ・アニェッリを称えるチャントを歌い、ピッチに背を向けたのだ。
幸いにも、愚かな行為は一部のサポーターに限られ、多くのサポーターは黙祷を捧げ、拍手でチャントを打ち消そうとしていた。インテルが戦ったローマのオリンピコでも、ミランがプレーしたサンシーロでも、このような問題は起こらなかった。
クラブはすぐに声明を発表。「いかなるライバル関係も、黙祷の最中に敬意を欠くことを正当化するものではない。追悼の瞬間に、故人の記憶を称え、ともに哀悼の意を表することは、所属やチームのカラーを越えた、すべての人に共通する責任だ」
この愚行はイタリアで大きく報じられ、もう一人のインテルのバンディエーラ、ジュゼッペ・ベルゴミは、イタリア・メディア『Sky Sport』の番組で、このように述べている。
「一つ言わせてほしい。サンドロ・マッツォーラにお別れを告げたい。そして、私たちは決して彼に背を向けることはないし、これからもずっと彼のことを大切に思っている、と伝えたい」と、怒りを露わにすることなく、淡々と語った。
ユーヴェには、処分やサポーター席の一部封鎖などの可能性がささやかれたが、FIGC(イタリア・サッカー連盟)のスポーツ判事、ジェラルド・マストランドレーアは1万ユーロの罰金を科すにとどまった。
その理由は以下のとおりだ。「クラブが速やかに正式な立場を表明したこと、そしてスタジアムにいた残りの観客がその行為と距離を置いたことを考慮し、処分を軽減した」と声明には記されている。
拍手に包まれた最後の別れ

ミラノ市内のサンタンブロージョ聖堂で行われたサンドロ・マッツォーラの葬儀【写真:Getty Images】
21日、ミラノ市内のサンタンブロージョ聖堂にてサンドロの葬儀が営まれた。
7月31日に亡くなったミランの歴史に刻まれたカピターノ、フランコ・バレージの葬儀も行われた、ミラノ市内最古の歴史を誇る教会だ。
多くのインテリスタや関係者が足を運び、そこにはユヴェントスのCEO、ジョヴァンニ・カルネヴァーリとスポーツディレクターのリッキー・マッサーラも参列した。2人は教会の外にいたインテルのサポーターから拍手で迎えられた。
マッツォーラの最後のお別れの場がブーイングや罵詈雑言などで汚されることはなかった。それはせめてもの救いだった。
(文:佐藤徳和)
【著者プロフィール:佐藤徳和】
1998年にローマでの語学留学中に、地元のアマチュアクラブ「ロムーレア」の練習に参加。帰国後、『ポケットプログレッシブ伊和・和伊辞典』(小学館)の制作に参加し、イタリア語学習書などの編集、校正、執筆に携わる。2007年から、フリーランスとして活動し、主にイタリア・サッカー記事のライティングに従事。2014年には、FC東京でイタリア人臨時GKコーチの通訳を務める。IL ROMANISTA、日本特派員。『使えるイタリア語単語3700』(ベレ出版)、『イタリア語基本の500単語』(語研)を共同執筆。日伊協会では、カルチョの記事を読む講座を開講中。X:@noricazuccuru
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