昨今、確かな能力を持った若手が早々に海外クラブへと挑戦するケースは少なくない。若い頃から欧州で実績を積めば、早期のステップアップも容易になるだろう。しかし、海外移籍には大きなリスクも付きまとう。今回は早期の海外移籍に失敗し、その後のキャリアにも影響してしまった選手をピックアップして紹介する。
FW:伊藤翔(いとう・しょう)

【写真:Getty Images】
生年月日:1988年7月24日
移籍先:中京大中京→グルノーブル(フランス)
移籍日:2007年1月1日(当時18歳)
グルノーブル通算成績:6試合0ゴール0アシスト
現在、Jリーグを経由せず、Jユースチームや高校から多くの有望な若手選手たちが、海外のクラブへと羽ばたいている。今でこそ当たり前となったケースだが、この道の「先駆者」となったのが伊藤翔である。
愛知県の中京大中京高校へと入学した伊藤は、高校2年次にアーセナルの練習に参加。このチャンスでアピールに成功し、当時の監督だったアーセン・ヴェンゲルから高い評価を得て、メディアの注目の的になった。
全国高校サッカー選手権大会など、大きな大会で結果を残すことは出来なかったものの、高校最後の大会が終わった2007年1月に、フランスのグルノーブルへと加入している。
前代未聞の海外クラブ移籍に、日本では今までにない驚きと、若き才能への期待感が膨らんでいた。
しかし、フランスでの日々はそう簡単にはいかず、3年半の在籍で公式戦わずか6試合のみの出場に留まっている。
2010年夏に自身初のJクラブとなった清水エスパルスでも、完全にチームに定着できたのは、加入4年目の2013年。能力の成長に重要な、若手期間での出場機会を十分に得ることが出来なかった。
伊藤はその後、ストライカーとして横浜F・マリノスや鹿島アントラーズで活躍し、37歳となった現在も横浜FCでプレーしている。
ただ、リーグ戦で2ケタゴールを記録したことはなく、海外挑戦時の期待感からは程遠いキャリアを送っていることは否めないだろう。
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