代表チームに名を連ねるということは、ごく一握りの選手に与えられた特権である。各選手は所属クラブでの活躍が評価されて代表に招集されるが、なかにはクラブで素晴らしい成績を収めているにも関わらず、不思議と縁がない選手も存在する。今回は、所属チームで活躍しながらサッカー日本代表にほとんど(もしくは全く)呼ばれなかった選手をピックアップする。※データは『Transfermarkt』を参照。キャップ数はA代表のみ。
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MF:野沢拓也(のざわ・たくや)
生年月日:1981年8月12日
主な所属クラブ:鹿島アントラーズ、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台
代表キャップ:0試合0得点0アシスト
鹿島アントラーズの下部組織が生んだゲームメーカーである野沢拓也も、不思議とサッカー日本代表に縁がなかった選手の1人だ。
イタリアへ渡った小笠原満男の後継者に指名されるほどの男は、A代表のキャップ数が「0」のまま2020年12月30日に現役引退を発表している。
高校1年生の時から2種登録選手の形でトップチーム登録されるなど、野沢は鹿島の中でも一際将来を嘱望される存在だった。
小笠原や本山雅志といった名手が揃うトップチームでは一時伸び悩むも、小笠原がセリエA挑戦に乗り出した2006シーズンを境にレギュラーとしての地位を確立。史上初となるリーグ3連覇(2007~2009シーズン)の立役者となった。
U-19日本代表やU-21日本代表の経験はあったものの、野沢とA代表の間には厚い壁が立ちはだかっていた。
2006年11月にはAFCアジアカップ2007予選に臨むA代表に初選出されたが、試合出場はなし。以降も代表戦出場の機会は訪れなかった。
そのテクニックの高さから、“変態的”とも称された野沢のプレーをA代表で見てみたかったファンは決して少なくないだろう。
自らが輝くことも味方を活かすこともできた天才は、日本代表に多くのものをもたらすことができたはずだ。
現役引退後の2022年6月9日、鹿島は『アントラーズ功労賞』に野沢を選出。小笠原が着用した背番号「8」を継承して数々のタイトル獲得に貢献した男は、名門チームで殿堂入りを果たした。
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