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J1 1か月前

クラブ崩壊の原因…。Jリーグ、歴代ハズレ外国人監督10人。サポーターを失望させた迷将たち【Part2】

シリーズ:編集部フォーカス text by 編集部 photo by Getty Images

 これまで多くの外国人監督がJリーグクラブを率いてきた。チームを成功へと導いた名将もいれば、その一方でクラブを混乱や崩壊の危機に直面させた指揮官もいる。今回は、Jリーグで指揮を執りながらも、期待に応えられず残念な結末を迎えた外国人監督を紹介する。[1/5ページ]
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ゼリコ・ペトロヴィッチ(浦和レッズ/モンテネグロ)


【写真:Getty Images】

生年月日:1965年11月13日
在籍期間:2011年2月~同10月

 現役時代に浦和レッズでプレーした経験を持つゼリコ・ペトロヴィッチは、2011年に指揮官としてチームに帰ってきた。

 しかし、その在任期間はわずか1年にも満たず、短命政権に終わっている。

 前任のフォルカー・フィンケ監督の後を受けて、前年度10位に沈んだチームを再建する使命を背負っての就任だった。

 クラブはゼリコ監督を支えるべく、アルビレックス新潟からマルシオ・リシャルデスと永田充を獲得。さらにサンパウロFCからマゾーラを補強するなど、巻き返しへの意欲を示した。

 しかし、チームは開幕からつまずく。

 5試合を終えて1勝4敗と苦しい船出となり、その後も波に乗ることはできなかった。

 守備の脆さと深刻な得点力不足で、チームは常に不安定な戦いを強いられ、リーグ戦28試合を終えた時点で6勝11分け11敗。降格圏こそ免れていたものの、サポーターの不満は募る一方だった。

 そして迎えた第29節、大宮アルディージャとのさいたまダービーで痛恨の敗戦を喫したことが引き金となり、クラブはゼリコ監督の解任を決断した。

 後任には堀孝史氏が就任し、なんとか最終節で残留を確定させたものの、クラブは屈辱的なシーズンを過ごした。

 チームの再建どころか降格の危機に追い込まれた現実が、彼に課せられた責任の重さを如実に示している。

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