
実は水戸ホーリーホックでプレーした意外なプレーヤーたち【写真:Getty Images】
2025年の明治安田J2リーグの全日程が終了し、水戸ホーリーホックはクラブ史上初となるJ2優勝&J1昇格を果たした。創設から31年の歴史の中で、多くの名プレーヤーが育ち、国内外で活躍を見せてきた。今回は、かつて水戸でプレーした輝かしい実績を持つ選手たちを紹介する。[1/5ページ]
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DF:田中マルクス闘莉王(たなかまるくす・とぅーりお)
2003年に水戸ホーリーホックでプレーしていた田中マルクス闘莉王【写真:Getty Images】
生年月日:1981年4月24日
在籍時期:2003年
公式戦通算成績:43試合10得点0アシスト
田中マルクス闘莉王は、DFながらJリーグ通算529試合で104得点という驚異的な数字を残し、サッカー日本代表としてFIFAワールドカップ(W杯)南アフリカ大会にも出場した経験を持つレジェンドだ。
そのキャリアの中には、わずか1年ではあるものの、水戸ホーリーホックでプレーしたシーズンがある。
高校卒業後にサンフレッチェ広島へ加入した闘莉王。広島では2年間プレーしたが、当時は外国籍選手扱いでA契約枠(当時は最大3名)に入ることができず、出場機会を求めて2003シーズンに水戸への期限付き移籍が決まった。
水戸では加入直後から圧倒的な存在感を示し、すぐにレギュラーへと定着。シーズン44試合中、42試合でフル出場を果たし、J2の厳しい環境の中で身体的にも精神的にも大きく成長を遂げた。
特筆すべきは、DFとしては異例ともいえるシーズン10得点という数字だ。
圧倒的な攻撃センスを武器に得点を量産し、この年のチーム内得点王にも輝いた。
ここで築かれた“攻撃的DF”としてのイメージは、その後のキャリアを象徴するものとなっている。
闘莉王はのちに、浦和レッズ、名古屋グランパスなどで数々のタイトル獲得に貢献し、日本サッカーを代表する攻撃的センターバックとして名を馳せた。
その原点には、タフな環境で自身の武器を磨き上げた水戸での1年が確かに存在している。