元イタリア代表FWマリオ・バロテッリが、UAE(アラブ首長国連邦)2部リーグ所属のアル・イッティファークに加入することが決まった。かつてイタリアの希望だった“悪童”は、なぜ世界的にはもちろん、アジアでも無名なチームでプレーすることを決断したのか。その経緯や、改めてバロテッリという男がどういう存在なのかを伝える。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
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バロテッリが初めてアジアのリーグへ!
マリオ・バロテッリの新天地は、UAE(アラブ首長国連邦)のファーストディビジョンリーグ(2部)に所属するアル・イッティファークに決まった。
プロキャリア21年目を迎える今、ヨーロッパを離れ、初めてアジアの舞台に挑む。
過去には、トルコ中南部のアダナ・デミルスポルに所属し、地理的にはアジアの地でプレーしたこともあったが、アジアサッカー連盟(AFC)管轄のリーグでプレーするのは今回が初めてとなる。
イタリア・メディア『fanpage.it』によると、契約期間は2年半、年俸は約300万ユーロ(約5.4億円)とされている。35歳、2部に所属するプレーヤーにとっては決して悪くない条件だ。
アル・イッティファークは、2020年に創設されたクラブで、ドバイ北東部のデイラ地区に本拠を置き、北にはペルシャ湾を望むロケーションに位置している。本拠地のスタジアムは、ノース・ロンドン・スクールのスタジアムを間借りし、キャパシティは500人しかない。
ただ、UAEファーストディビジョンリーグ全体を見れば、4桁台のスタジアムが少なくなく、しかもこの規模でも空席だらけの試合が目立つ。
ちなみにドバイ・ユナイテッドのスタジアムはさらに少なく、100人の収容能力しかない。
この新興クラブの会長を務めるのが、ピエトロ・ラテルツァ。バロテッリと同郷のイタリア人だ。建設、不動産、エネルギー分野で事業を展開する「トレ・エッレ・グループ」の創業者であり、実業家である。
しかし、この世界的にはおろか、アジアでも無名のクラブが、“あの”バロテッリをどのように射止めたのだろうか?
あのサイトが決め手!?「フリーの選手を検索していて…」
ラテルツァ会長は『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』のインタビューで獲得に至った経緯を語っている。
「すべては、『Transfermarkt』で始まった。どのクラブとも契約していないフリーの選手を検索していて、バロテッリの名前を見つけてすぐに彼の代理人との接触を開始した。
彼はやる気に満ちていて、コンディションも良い。我々にはゴールを決められるストライカーが必要だった。バロテッリにとって、ドバイは再出発に最適な場所だ。彼が我々の得点源になるだろう」
驚くことに、バロテッリの発掘に、サッカーファンの間で有名な移籍情報サイト『Transfermarkt』を利用したことを明かしている。
「私は昨年10月に、このクラブをカターニアFCの会長、ロザーリオ・ペッリグラから引き継いだ。我々は昇格組で、前半戦は苦戦した。現在6ポイントで最下位に沈んでいるが、まだ挽回のチャンスはある。目標は、上位2位以内でフィニッシュし、UAEプロリーグ(1部リーグ)に昇格を果たすことだ」
2部リーグのチーム数は15。その中で2勝10敗の最下位と極めて厳しい戦いを強いられているが、昇格を諦めてはいない。
このイタリア人がオーナーを務めるチームには、ほかにも同郷の選手が2人所属する。
一人はヤコポ・ダ・リーヴァ。25歳のMFでアタランタの下部組織出身。19/20シーズンにアタランタでセリエAデビューを果たしたが、その後はレンタル移籍で下部リーグを放浪した。
昨夏、アタランタU23との契約が解除され、フリーでアル・イッティファークに加入している。
もう一人は、21歳のジャンルカ・サンティーニだ。USリヴォルノ下部組織出身のセンターバックである。
2022年以降、SPALの下部組織から、活躍の舞台をUAEにしていた。昨年9月にマスフート・クラブ(UAEファーストディビジョンリーグ)からアル・イッティファークに移籍となっていた。
また、SSラツィオ、SSCバーリでプレーした経験を持つジャファン・アンダーソンも所属。30歳のMFである。
アンダー世代ではオランダ代表として、U-17などでプレーし、ヨーロッパの頂点に立ったが、A代表はルーツのあるスリナムを選択し、2026年ワールドカップ北中米カリブ海予選の4試合に出場している。
ラテルツァ会長は続ける。
信じられない愚行の数々。それでもバロテッリは…
「UAEでは厳格なルールがあり、チームの70パーセントは、UAEの選手で構成しなければならない。我々の方針は、イタリアとの強い絆を築くことにある」
こうして、イタリア人のバロテッリに白羽の矢が立てられることとなった。
「UAEファーストディビジョンリーグには民間のクラブが4つあり、そのほかは国によって運営されている。UAEプロリーグのクラブはすべて公的資金を得ている。昇格して唯一の外国人オーナーのクラブになれたら、大きな達成感を得られるだろう」
そして、このラテルツァは、イタリアのあるクラブの会長でもあるのだ。そのクラブとは、キエーヴォ・ヴェローナである。
当初、会長を務めていたのは、キエーヴォ・ヴェローナのレジェンド、セルジョ・ペッリシエールであったが、現在は名誉会長兼スポーツディレクターの肩書きになっており、2024年4月からラテルツァがキエーヴォ・ヴェローナの会長職を担っている。
アジアに新たな活躍の場を求めたバロテッリは、インテルに所属していた2007年12月16日、カリアリ・カルチョ戦でセリエAデビューを果たして以来(17歳4か月)、ピッチの内外で数々の“愚行”を繰り返してきた。
マンチェスター・シティ時代にはLAギャラクシーとのプレシーズンマッチで、見たこともないようなプレーを見せた。GKとの1対1で意味不明なヒールキックを繰り出してゴールを逃し、当時のロベルト・マンチーニ監督の激怒を買ったこともあった。
また、ある選手に対しダーツを投げつけることもあれば、自宅のバスルームで花火を打ち上げ、家が半焼。消防が出動する騒ぎになったことも。
さらには1年間で27回もの駐車違反を記録と、信じられないエピソードは枚挙に暇がない。
それでも“悪童”と揶揄される一方で、時折見せるプレーは多くの者を魅了し、“スーペル・マリオ”の異名で称えられた。野蛮な行為を繰り返すだけでなく、人々を惹きつける選手でもあった。
バロテッリは、イタリアの“希望”でもあったのだ。



