ユース時代に才能を高く評価され、プロの舞台での活躍も間違いないと期待された選手が多くいる。しかし、そういった才能の持ち主でも、ケガやプレッシャーに苦しみ、大成しなかった者は少なくない。今回はJリーグの育成組織で期待を集めながら、才能を発揮しきれなかった選手を紹介する。※成績は『Transfermarkt』を参照。[1/5ページ]
——————————
MF:越智隼人(おち・はやと)
生年月日:1982年7月17日
主な在籍クラブ:セレッソ大阪、モンテディオ山形
越智隼人は、横浜フリューゲルスの育成組織で育ち、クラブの消滅を機に横浜F・マリノスユースに加入した。
マリノスユースでもその卓越した技巧は注目の的だったが、高校3年次に負った大怪我が響き、念願のトップ昇格は叶わなかった。
しかし、その非凡な才能を高く評価したセレッソ大阪から声がかかり、プロとしてのキャリアを歩み始めた。
プロ入り1年目にJ1リーグで5試合に出場し、まずまずのルーキーイヤーを過ごしたが、定位置を確保するには至らなかった。
2003年にはJ2のモンテディオ山形に移籍したが、ここでも出場機会に恵まれず、リーグ戦出場はわずか2試合にとどまった。
結局、その才能をプロのピッチで満開にさせることのないまま、2004シーズン終了後に22歳という若さで現役引退を決断した。
プロとしての越智の輝きを記憶するファンは少ないかもしれない。しかし、若き日の彼を知る同世代の評価は驚くほど高い。
その筆頭が、元サッカー日本代表GKの川島永嗣である。
川島は2019年に放送されたTBSのテレビ番組「消えた天才」に出演した際、かつて埼玉県選抜などで共にプレーした越智の名を挙げた。
川島と越智は同じ埼玉県の出身。与野市(現さいたま市)で育った川島と上尾市出身の越智は、県選抜でチームメートになるなどしていた。
引退後、越智は最後に所属した山形の地に定住。現在はモンテディオ山形の公式戦解説者を務める傍ら、自らサッカースクール「SFCジェラーレ」を設立。代表兼ジュニアユース監督として、自らの経験を糧に若き才能を熱心に指導している。

