1980年代後半から2000年代前半にかけて黄金期を築いたイタリア・セリエA。中田英寿や中村俊輔といったレジェンドも同舞台で輝くなど、日本人に馴染みの深いクラブが多かった。しかし、そこから深刻な財政難を理由に、現在はかつてのような存在感を失ってしまったクラブも目立つ。今回は、そのようなクラブをピックアップ。輝かしい歴史と、あまり知られていない“今”を伝える。第3回はヴィチェンツァ。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
バッジョも愛したヴィチェンツァ
イタリアの至宝、ロベルト・バッジョは、そのクラブが昇格を遂げると、「選手のみんな、おめでとう! フォルツァ(がんばれ)・ラーネ!」と自身のSNSに綴り、歓喜をあらわにした。
「ラーネ」とはすなわち「ラネロッシ」。1817年創業のイタリアの歴史あるテキスタイルブランドであり、1953年から35年間にわたりクラブと提携関係を築いた企業だ。
この時からユニフォームに掲げられた企業のシンボルである“R”は、現在もビアンコロッシ(白と赤、クラブカラー)のユニフォームに見て取れる。
現在のクラブの正式名称に記されている「L.R.」は、説明するまでもなく「ラネロッシ(Lanerossi(旧社名Lanificio Rossiロッシ毛織物工場))」の頭文字である。
バッジョの生まれ故郷カルドーニョは、イタリア北東部ヴェネト州ヴィチェンツァ県の中央に位置する人口約1万1000人の小さな町だ。
バッジョの出生地として、その名は今ではイタリア全土に名を馳せるが、イタリアを代表する16世紀の建築家アンドレーア・パッラーディオによって設計されたユネスコ世界遺産建築の一つ「ヴィッラ・カルドーニョ」を擁する町としても知られている。
カルドーニョから、ヴィチェンツァ県の県都ヴィチェンツァまでは、およそ10キロ。車で約20分の距離にある。
バッジョは、カルドーニョの町と同名のクラブから1980年にセリエC1に属していた、ラネロッシ・ヴィチェンツァに引き抜かれた。13歳の時である。
触れられたくない“黒歴史”とは
1902年に創設されたヴィチェンツァは、1909/10シーズンにヴェネト州のセコンダ・カテゴリーア(当時の2部リーグ)を制し、1911/12シーズンにエミーリャ=ヴェネト地方のプリーマ・カテゴリーアへ昇格した。
当時はトップリーグが複数に分かれ、対戦方式も毎年のように変更されていた。
セリエAのリーグ名称となり、1リーグ制になった1929/30シーズン以降では、1941/42シーズンに初めてセリエA参戦を果たした。
しかし、欧州を火の海へと変えた第二次世界大戦の最中、イタリアはファシズム体制下にあり、スポーツにもその影響が及んでいた。
1932年、クラブは国家のプロパガンダに利用され、「アッソチャツィオーネ・“ファッシスタ”・カルチョ・ヴィチェンツァ」へと改称を強いられた。
L.R.ヴィチェンツァの公式HPのクラブ史を見ても、この名称変更の事実は記されていない。現在では触れられたくない“黒歴史”なのであろう。
だが、このようにクラブに「ファッシスタ」の名称が押し付けられたのはヴィチェンツァだけではなく、ヴェネツィアやカターニャも同様であった。
ファシズム政権下では多くの外国語・外来語が排除され、それまで用いられていた「フットボール」に代わり、イタリア語で「蹴る」を意味する「カルチョ」が、サッカーを指す語として使用されるよう強制されたのである。
ミランやジェノアも「ファッシスタ」の名称こそ付されなかったが、改称を迫られた。
戦争の終結とともに、クラブ名は「アッソチャツィオーネ・カルチョ・ヴィチェンツァ」に戻された。戦後の混乱期を抜け、1953年6月26日、「ラネロッシ」との提携により、クラブは大転換期を迎える。
バッジョではない。もう一人のバロンドーラーが活躍
「ラネロッシ」の名を冠すると、1954/55シーズンにセリエA昇格。それ以降、安定した力を発揮し続け、「ラネロッシ」の庇護のもと、初めてセリエBに降格した1976/77シーズンから3シーズン後、セリエA復帰を果たした77/78シーズンに、クラブ史上初のスクデット獲得に迫った。
このシーズン、クラブを牽引したのが、バッジョと並び、ヴィチェンツァのシンボルの一人であるパオロ・ロッシだった。
そう、ヴィチェンツァは、イタリアを代表する2人のバロンドーラーを擁したクラブであるのだ。
ロッシは、セリエBで優勝した1976/77シーズンに21ゴールを獲って得点王に輝くと、セリエA昇格の1977/78シーズンにも24ゴールをマークして、トップリーグでもトップスコアラーに君臨することとなる。
ロッシのゴールラッシュもあって、ラネロッシ・ヴィチェンツァは首位ユヴェントスを猛追。逆転優勝こそならなかったが、リーグ屈指の攻撃力を誇り、最多得点を記録した。
最終的には優勝したユーヴェと勝ち点差5の2位でシーズンを終えた。
リーグ戦に関しては、このシーズンがクラブ史における最上位であるが、ラネロッシが提携からすでに去っていた96/97シーズン、SSCナポリとの決勝戦に勝利し、コッパ・イタリアを奇跡的に制している。
今でもヴィチェンツァで語り継がれる武勲だ。
