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コラム 5時間前

またセリエA勢が欧州の舞台から消えた…。何が他国リーグと違う? データが暴くイタリア・サッカーの深刻な問題とは【コラム】

UEFAヨーロッパリーグで準々決勝敗退となったボローニャ

UEFAヨーロッパリーグで準々決勝敗退となったボローニャFC【写真:Getty Images】



 去る日本時間4月17日、UEFAヨーロッパリーグ(欧州EL)および、UEFAカンファレンスリーグ(欧州ECL)準々決勝でイタリア勢が敗れ、欧州の舞台から姿を消した。イタリア代表がFIFAワールドカップ2026(W杯)欧州予選で敗退したこともあり、イタリア・サッカーの低迷が浮き彫りとなってしまった。イタリア・サッカー界が今抱えている問題について、現地報道やデータ、これまでの歴史をもとに紐解いていく。(文・佐藤徳和)[1/2ページ]

ボローニャFC指揮官が指摘したイタリアクラブ勢との違い「我々より一段上のレベルにある」

 イタリア・サッカーの瓦解が止まらない。

 UEFAチャンピオンズリーグ(CL)でのベスト16敗退に続き、UEFAヨーロッパリーグ(欧州EL)ではボローニャFCが、UEFAカンファレンスリーグ(欧州ECL)ではフィオレンティーナがそれぞれ準々決勝で敗退し、イタリア勢は欧州の全コンペティションから姿を消した。

 イタリア代表がFIFAワールドカップ2026(W杯)欧州予選で3大会連続敗退を喫した悪い流れを断ち切る結果が期待されたが、それは叶わず、再び不名誉な結果を露呈する形となった。

 ボローニャFCは、プレミアリーグで4位と好調を維持するアストン・ヴィラに対し、2戦合計1-7で完敗。ホームでの第1戦を1-3で落とすと、アウェイの第2戦でも4-0と力の差を見せつけられた。

 一方のフィオレンティーナは、アウェイでの第1戦を3-0と落とし、ホームでの第2戦でも先制を許す苦しい展開となったが、その後に逆転勝利を収め、敗退こそ免れなかったものの、意地は示した。

 ボローニャFCのヴィンチェンツォ・イタリアーノ監督が、イタリア・メディア『Sky Sport』のインタビューにこう答えている。



「勝ち抜けは第1戦で損なわれてしまった。今日は自分たちの試合をしようとしたが、違いは決定力にあった。アストン・ヴィラはほとんどシュートのたびに得点を決めた。立ち上がりは良かったが、彼らは非常に強い相手であり、我々より一段上のレベルにある。

 彼らが示した力は認めるべきだ。ここで語られているのは、まさに個の力の差であり、それを埋めるには全員が並外れたパフォーマンスを発揮するしかない」

 これにより、CLのインテル、ユヴェントス、アタランタ、SSCナポリ、欧州ELのASローマに続き、最後まで残っていたボローニャFCとフィオレンティーナも欧州の舞台から姿を消すこととなった。

 W杯欧州予選での敗退と相まって、イタリア・サッカーの低迷が改めて浮き彫りとなった。

 近年において、イタリア勢の欧州カップ戦での早期敗退は初めてではない。

衝撃的だった2000/01シーズンのイタリア勢の全滅…

 2015/16シーズンには、CLベスト16で、ユヴェントスがバイエルン・ミュンヘンに延長戦の末であったが、4-6(2戦合計、以下同様)で敗れ、ASローマは、この大会を制すこととなるレアル・マドリードに0-4と叩きのめされる。

 欧州ELでは、SSラツィオ(CLプレーオフでバイヤー・レヴァークーゼンに敗れ、欧州ELに参戦)が、ベスト16でスパルタ・プラハに1-4で敗戦している。

 このシーズンのイタリア勢の早期敗退も、なかなかの衝撃であったが、6月に行われたUEFA欧州選手権(UEFAユーロ)で、アントニオ・コンテ監督率いるアッズーリがグループステージで優勝候補と目されたベルギー代表を撃破。

 決勝トーナメント1回戦では、3大会連続優勝を狙ったスペイン代表を打ち破った。しかも、この2試合を無失点で切り抜けている。

 準々決勝では惜しくもドイツ代表に、PK戦の末に苦杯をなめはしたが、このときの戦いぶりは、勇猛果敢で、準優勝した2012年大会に続き、高く評価された。

 また、2000/01シーズンも、イタリアのクラブは、早々と大会から別れを告げなければならなかった。



 CLでは、インテルがヘルシンボリIFとの予選3回戦で不覚をとると、ユーヴェはグループE最下位に終わり、涙を呑んだ。

 当時は、2次グループステージがあり、ACミランとラツィオが勝ち進んでいたが、これを突破できず、いずれも準々決勝に駒を進めることができなかった。

 UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)でも、ベスト16で、インテル、パルマ・カルチョ、ASローマの3チームが敗戦。当時、セリエAは、ヨーロッパにおいて最高峰のリーグと評されていただけに、この段階でのイタリア勢の全滅は、かなりのインパクトだった。

 それでも、イタリアは多くのタレントを擁し、イタリアのサッカーがこれほど凋落してしまうとは、誰もが予想していなかった。

 実は、イタリア代表には過去にも長い低迷期があった。

イタリアの“黒歴史”時代に現れた救世主

 イタリアは、自国開催の1934年第2回、1938年の第3回大会を制し、初めて連覇する国となるが、とりわけ第2回大会は、“曰く付き”の優勝だった。

 イタリア戦では審判に強い圧力が加えられ、また第1回大会の準優勝国アルゼンチンをはじめとして多くの選手を帰化させており、帰化選手がイタリアチームの大半を占めていたのだ。

 そして、第2次世界大戦後の最初の1950年大会、イタリアはグループステージ(GS)敗退。1954年大会もGSを突破できず、2大会連続で決勝トーナメント進出を逃した。

 迎えた1958年大会は、初の予選敗退を喫する(第1回大会は不参加)。

 イタリアは北アイルランド、ポルトガルと同組の欧州予選グループ8で敗退。敵地ベルファストでの北アイルランドとの最終戦に1-2と敗れた(北アイルランドが勝ち抜け)。

 さらに、暗黒時代は続き、1962年大会、1966年大会もGSで敗れた。1966年イングランド大会は、イタリアにとって“黒歴史”の一つである、あの北朝鮮代表戦での黒星である。



 そんな苦難の時代の中で、救世主が現れる。

 カリアリの英雄で、イタリア代表として歴代最高得点を記録することとなるジージ・リーヴァだ。

 稀代のセンターフォワードの出現により、イタリアは徐々に表舞台に復活を遂げ、1968年のUEFAユーロで優勝。1970年大会では、準決勝で西ドイツを延長戦を戦い抜いた末に4-3と撃破。W杯史に残る激戦を制しての決勝進出だった。

 決勝では、王様ペレを擁するブラジル代表に1-4と完敗を喫したが、西ドイツとの死闘を演じたアッズーリにもはや余力はなく、ロベルト・ボニンセーニャが一矢報いるゴールを奪うのが精一杯だった。

 それでも、この戦後の暗黒時代のイタリアと比べても、今のイタリアの低迷は比較にならない。

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