忘れられたクラブが、いま再び脚光を浴びている。度重なる分裂と低迷を経て、長らく表舞台から姿を消していたパリFC。しかし、LVMHとレッドブルの参画をきっかけに、その歴史は大きく動き出した。パリ・サンジェルマンと“隣り合う”もう一つのクラブは、いかにして再生を遂げたのか。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]
パリFCを知るきっかけ
そのクラブの名を知ったのは、今から約30年前のことだった。
フランス人の友人が、「いとこがプレーしている」と話してくれたのがきっかけだった。
クラブの名は、パリFC。「シャンピオナ・ドゥ・フランス・ドゥ・フットボル・ナショナル」、ディヴィジオン・ドゥ(現リーグ・ドゥ)の下部リーグにあたる3部リーグに所属するクラブだった。
当時、フランスのサッカークラブといえば、パリ・サンジェルマン(PSG)が圧倒的な存在感を放っていた。
鹿島アントラーズから移籍したレオナルドや、サンパウロFCの一員としてトヨタカップに来日し、バルセロナを相手に2ゴールを挙げ、優勝に貢献するとともにMVPを獲得したライーが在籍していたことで知られていた。
1998年6月、私はイタリアのローマにいた。フランスで開催されるFIFAワールドカップ(W杯)の開幕を間近に控え、各国代表はテストマッチを行っていた。
ある日、日課としていた『ラ・ガッゼッタ・デッロ・スポルト』を購入し、紙面をめくると、そこには驚くべき結果が掲載されていた。
紙面に載っていた驚くべき事実
「パリFC 1-1 韓国代表」
さらに、パリFCの得点者の欄には「ディムネット」と記されていた。そう、友人と同じ姓を持つ、彼のいとこだった。
当時、アジア最強と称されるほどの強さを誇っていたあの韓国から、友人のいとこが得点をしたことに、私は驚きと喜び、そして強い誇りを覚えた。
帰国後、私は友人に「いとこが韓国から得点したね。驚いたよ。すごい選手なんだね」と話した。
しかし、彼の口から返ってきたのは、予想外の言葉だった。
「残念ながら、いとこは両親の意向もあってサッカーを続けることができず、学業に専念することになったんだ」
韓国から得点を挙げた選手でさえ、プロの道を断念せざるを得ないという現実。その理不尽さと同時に、プロの世界に到達することの厳しさ、そしてヨーロッパにおける競争のレベルの高さを改めて感じた。
それ以来、パリFCというクラブの名は、私の中で次第に遠ざかっていった。
再びパリFCの名を目にしたのは、2024年の買収劇だった。
フランスの実業家ベルナール・アルノーの一族が率いるアガッシュ・スポールと、レッドブルが出資しパリFCの経営に参画したのである。
前者が52.4%の株式を取得して筆頭株主となり、後者は10.6%を保有する。
ベルナール・アルノーは、LVMHの取締役会長兼CEOを務める、世界有数の実業家であり、同グループはルイ・ヴィトンをはじめとする多数のブランドを傘下に収めている。
レッドブルはモータースポーツやサッカーを中心に世界的なスポーツ投資を展開しており、オーストリア・ブンデスリーガのレッドブル・ザルツブルクやドイツ・ブンデスリーガのRBライプツィヒなどをはじめ、複数のクラブを所有している。
さらに2024年9月には、NTT東日本から大宮アルディージャおよび大宮アルディージャVENTUSの運営会社の全株式を取得し、日本でのクラブ経営にも進出した。
パリFCほど紆余曲折のあるクラブは…
パリFCの本拠地は、パリ16区に所在するサッカーおよびラグビー専用競技場、スタッド・ジャン=ブーアンである。
パリ市が所有し、1912年ストックホルムオリンピックで銀メダルを獲得した陸上競技選手、ジャン・ブーアンの名を冠している。
その南側に隣接するのが、PSGの本拠地であるパルク・デ・プランス。両スタジアムは、幅10メートルにも満たない道路を一本挟んで隣り合っている。
2つの球技専用競技場がこれほど近接して並ぶ例は、世界的にも珍しい。
東京でも、明治神宮野球場と秩父宮ラグビー場が隣接しているが、その関係性をサッカー・ラグビー専用競技場に置き換えたような配置といえるだろう。
パリFCは1969年に創設されて以来、解散、合併、再結成を繰り返してきた。50数年の歴史の中で、これほど紆余曲折を経てきたクラブも類を見ない。
設立にはヌーヴェル・ヴァーグを象徴する俳優の一人、ジャン=ポール・ベルモンドを含む著名人や実業家が関わっていた。
創設後まもなく、パリ西部で、パリ郊外では随一の高級住宅地の一つであるとされるサン=ジェルマン=アン=レー近郊のクラブ、スタッド・サンジェルマンと合併し、PSGが誕生する。
しかし、この統合は短命に終わり、1972年には再び分裂。パリFCはスタジアムや選手、上位リーグでプレーする権利を引き継ぎつつ、当時のトップリーグ、ディヴィジオン・アンに留まり、一方、PSGはシャンピオナ・ドゥ・フランス(3部リーグ)からの再出発を余儀なくされた。
パリFCとPSGもまた、ミランから分離して誕生したインテルになぞらえられるように、姉妹、あるいは従姉妹といえるような関係にある。
だが数年のうちに状況は逆転する。
