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「悲しいだろうなと」V・ファーレン長崎、笠柳翼が「プロにならなければと強く思った」理由。世界へ羽ばたく原点【コラム】

シリーズ:コラム text by 椎葉洋平 photo by Getty Images,Shiiba Yohei
V・ファーレン長崎 笠柳翼 

今夏、V・ファーレン長崎からベルギー2部のマースメヘレンへ加入した笠柳翼【写真:Getty Images】



 V・ファーレン長崎は7月10日、笠柳翼がベルギー2部のパトロ・アイスデン・マースメヘレンへ期限付き移籍することを発表した。2025シーズンの最終節ではJ1昇格を決める同点弾をアシストし、明治安田J1百年構想リーグでも14試合に出場したドリブラーは、新たな挑戦を求めた。プレーヤーとしての原点はどこにあるのか。移籍発表の約1か月前に長崎市内で行われた個人イベント後、笠柳と4歳年上の兄・翔、母親に話を聞いた。(取材・文:椎葉洋平) 

現在にも活きている笠柳翼の原点

V・ファーレン長崎 笠柳翼 プロ1年目の頃

前橋育英高校からV・ファーレン長崎に加入したプロ1年目はなかなか出場機会がなかった【写真:Getty Images】


「ないと自分が思い込んでいるのか、そもそも感じていないのか分からないですけど。今のところなく、無事にここまでキャリアを積めているので、これからもっとチャレンジして、どんどん前向きにやっていけたらなと思います」

 これまでのサッカーキャリアに挫折はない。そう語る笠柳翼の目に、迷いは一切ない。本人の意思の強さと周囲の支えによって、着実に歩を進めてきた。

 笠柳兄弟は神奈川県で生まれ育った。小さい頃、母親に連れられて買い物に行ったときのこと。欲しいものがあっても、兄・翔は親の姿が見えなくなると諦めてついてくる。

 しかし、笠柳は諦めず、お店で寝っ転がって駄々をこねた。幼い頃から気が強く、時に母親を心配させる笠柳は、兄の影響でサッカーを始めた。

 気の強さは負けず嫌いとなって、サッカーに向かう。チームの練習に加え、自宅内でも多くの時間、ボールに触れた。

 兄弟の練習には父親が熱心に付き合った。屋内でも支障のない、柔らかいボールを投げてもらってテクニックを磨く。利き足でない左足を鍛えることを意識付けられ、兄弟はそれにも一切手を抜かなかった。

 母親からは「挨拶をきちんとしなさい」という言葉とともに「自分の意見をきちんと言いなさい」と何度も教えられた。それは現在にも活き、礼儀正しく、自身の考えをしっかりと伝える。どのような場面でも一切躊躇はない。

 プロを意識したのは、横浜FCのジュニアユースに所属していた中学生の頃だ。

「普段からトップの選手たちを見て、そこから少しずつ芽生えました」

 この頃、笠柳と同様サッカーに打ち込んでいた兄・翔は、弟との「違い」に気付いていた。自身は高校生で、弟は中学生。にも関わらず、久しぶりに一緒にボールを蹴ると逆足の精度があまりに違っていた。

 徐々に芽生えていた「プロになりたい」という葉が確固たる幹となったのは、群馬県の前橋育英高校への進学が決まったとき。親元を離れての寮生活がきっかけだった。

「プロにならなければならないと強く思った」

V・ファーレン長崎 笠柳翼 2025シーズンはチーム最多タイの6アシストをマーク

2025シーズン、チーム最多タイの6アシストをマークした笠柳翼【写真:Getty Images】


「僕だけが悲しむのではなくて、お父さん、お母さん含めて悲しいだろうなと思ったときに、プロにならなければならないと強く思った」

 現在も強く脳裏に刻まれるこのタイミングを機に、中学生までは比較的控えめだった性格も変化。自立へとつながっていく。

「プロにならなければならない」という強い思いは、周囲に流されない軸となった。寮の友人たちから「映画を観に行こう」と誘われても行かない。練習では最後まで残って自主練習し、片付けて寮に戻り、遅れて1人でご飯を食べる。そんな生活だった。

「もちろんそれは辛かったです。みんなと一緒にご飯を食べたいですけど、それよりも大きな夢が勝りました」

 決して、周りと差をつけようとしたわけではない。とにかく上に行きたい。ベクトルは、常に自分自身に向いていた。

 母親は兄弟を「努力の天才」と評す。兄はサッカー選手にはなれなかったものの、若くして起業。そのうちの1つとして、選手が元々持っている才能と実力を世界トップレベルへ押し上げるプロジェクト、「TNK United」を高校時代の友人らと立ち上げ、試合の分析や体づくりを含めたマネジメントなど、笠柳の支援を総合的に行う。

 兄は、弟について「一番良いところは大胆さと努力し続けられるところ」と分析する。

「もちろんプレーのところでドリブルが良いとか、テクニックがあるとか、サッカーIQが高いとかもあるんですけど、そういったところよりもっと根本の部分。精神力とか、積み上げていける力が、他の人よりも優れているのが、プロになった1番大きな要因じゃないかなと思う」

 両足を巧みに使える笠柳は持ち味のドリブルに磨きをかけ、V・ファーレン長崎からオファーが届く。念願のプロが目前に迫ったとき、母親は複雑な心境にあった。

「すっごく一生懸命応援していたけど、私はサッカー選手になってほしいとは全然思っていなかった。大学に行ってもいいのでは、というのはすごくあった。でも、あれだけ応援していたのに、やめなさいと急に手のひらは返せない」

 家族の思いを背負い、高卒でプロとなった笠柳は、長崎での4年間で、J2リーグに80試合出場し、8得点15アシストを記録。J1百年構想リーグでも14試合に出場し、大きな期待を集める存在となった。

長崎の翼が世界へと羽ばたく「もっと上に行きたいという気持ちが僕を焚き付けて…」

V・ファーレン長崎 笠柳翼

笠柳翼はファン・サポーターと触れ合う機会を積極的に作ってきた【写真:椎葉洋平】


「気持ちの部分が1番大きかったと思います。誰よりもサッカーが上手くなりたいとか、常にもっと上に行きたいという気持ちが僕を焚き付けて、トレーニングや試合で良いパフォーマンスをできるようにしてくれたと思います」

 ここまでのプロキャリアについて、笠柳はそう振り返る。移籍先のベルギー2部のパトロ・アイスデン・マースメヘレンで背負う背番号は10。期待がより高まるなか、今後も姿勢が変わることはない。

「まだまだもっとできる、上に行きたいと思っているので、この気持ちは忘れずに日々ハードワークできたらと思っています」

 長崎でもそうであったように、ベルギーでもTNK Unitedの分析官にして、友人関係にある小駒海晴が現地でのサポートを続ける。両親の思いを背負った高校時代と同様か、それ以上に、現在は家族に加え、TNKの思いを背負う強さがある。

「TNKのみんなもサッカーをやってきて、プロになれず悔しい思いはあると思います。その中で僕がみんなを夢の舞台に連れていくというようなことを常にイメージしながら、苦しいときもサッカーを頑張っている。最後はみんなに良い景色を僕が見せられたら」

 目線は自分に向きながらも、人間力で周囲との関係性を自然と築く。ファン・サポーターと触れ合う機会も積極的に作り、その思いを力に変えられる。それが笠柳の強さなのだろう。

 ベルギーは日本以上に、個の力が評価される地だ。持ち前の打開力を存分に発揮し、多くの得点に絡めば、さらなるステップアップも見えてくる。長崎の翼は海を越え、多くの人の想いを乗せて大海原へ羽ばたいていく。

(取材・文:椎葉洋平)

【著者プロフィール:椎葉洋平】
1989年生まれ、福岡県出身。サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』のV・ファーレン長崎担当。クラブのMDP(マッチデープログラム)なども担当している。介護士として7年、営業職として1年半務めたのちフリーランスのライターとして独立した遅咲き。Xのアカウントは@yoheishiiba

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【了】

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