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コラム 3時間前

W杯出場はわずか12分…“チェルシーの王”ジャンフランコ・ゾラがアッズーリ再建を託された理由【コラム】

ジャンフランコ・ゾラ
ジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】



 “マジックボックス”の異名で知られ、ナポリやチェルシーで活躍したジャンフランコ・ゾラが、クラブ・イタリア育成部門の新たな柱に就任した。現役時代はアッズーリで思うような結果を残せなかった希代の名手が、今度は若き才能を育てる立場から母国の再建に挑む。イタリアサッカーの未来を託されたゾラの軌跡と、新たな使命に迫る。(文:佐藤徳和)[1/2ページ]

“マジックボックス”ゾラ、アッズーリ再建の新たな担い手に

ジャンフランコ・ゾラ
ジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】


 イタリアサッカー連盟(FIGC)は5日、クラブ・イタリアの育成年代における活動プロジェクトのコーディネーターに、ジャンフランコ・ゾラが就任したことを発表した。

 FIGCは、すでにイタリア代表監督にはロベルト・マンチーニ、テクニカルディレクター兼クラブ・イタリア会長にはクラウディオ・ラニエーリの任命を発表。ゾラの就任により、イタリア代表各カテゴリーの運営と発展を統括するFIGCの体制がようやく整った。

 ゾラは、レーガ・プロ(セリエC)副会長を2023年2月から務めていたが、今後はクラブ・イタリアの育成コーディネーターも兼務することとなる。

 ゾラの就任には、とりわけSSCナポリとチェルシーFC時代にゾラを指導した経験を持つラニエーリ・テクニカルディレクターが強く推していたようだ。

 FIGCのマラゴー会長は、「ゾラがここ数年、レーガ・プロで示してきたカリスマ性、資質、若手への取り組みが、我々の未来を築くための最高の基盤となる。

 彼が熱意、協力姿勢、そして責任感を持ってこの役割を引き受けてくれたことに感謝している。ラニエーリ、マンチーニ、ゾラとともに、イタリア・サッカーの新たな展望を築いていきたい」と言明し、ゾラへの期待を示した。

 一方、マンチーニと同じく、現役時代に多くのクラブで10番を背負ったゾラは、「この役割で私を考えてくれたマラゴー会長に感謝している。これは、組織、各クラブ、そして私自身がその一員である運営体制とともにレーガ・プロで進めてきたプロジェクトの価値が証明されたもの。私は喜びと意欲、使命感を持ってアッズーリのサッカー界に身を捧げる。とりわけ、イタリアの新たな才能の成長に向けて尽力していく」と決意を述べた。

サルデーニャからナポリへ セリエCからのシンデレラストーリー

SSCナポリ ジャンフランコ・ゾラ
SSCナポリ ジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】


 7月5日に60歳の誕生日を迎えたゾラは、地中海で2番目に大きな島サルデーニャの生まれだ。島の中央東部に位置するヌオーロ県のオリエーナで少年時代を過ごした。

 プロデビューは、当時セリエC2に所属していたヌオーロ県を代表するクラブ、ヌオレーゼ。1984/85シーズンのセリエC2で4試合に出場している。1986年夏には、サルデーニャ北部サッサリのトッレスに移籍。

 1986/87シーズンのセリエC2で30試合出場8ゴールの成績を残し、昇格に貢献した。セリエC1での2年目となる1988/89シーズンには34試合にプレーし、11ゴールを記録する活躍を見せた。

 すると、代理人として名を馳せていたルチャーノ・モッジの目に留まり、SSCナポリへ20億リラ(1リラ=約0.09円として、約1億8,000万円)で移籍。

 ナポリの王、ディエゴ・マラドーナとともに、かけがえのない2シーズンを過ごし、1年目には2度目のスクデット獲得に貢献している。

“チェルシーの王”としてイングランドを魅了

チェルシー ジャンフランコ・ゾラ
チェルシー ジャンフランコ・ゾラ【写真:Getty Images】


 1993年6月には、この時代に凄まじい野心を見せていたパルマACへ移籍する。移籍金は130億リラ(約11億7,000万円)。

 SSCナポリのサポーターからは「裏切り者」のレッテルを貼られたが、クラブは財政的に逼迫した状況に陥っており、ゾラを売却せざるを得なかった。

 ゾラは、UEFAスーパーカップとUEFAカップ制覇に貢献。ヨーロッパを席巻したクラブの中心選手として躍動した。

 しかし、1996年冬、ゾラはイタリアを離れることになる。その年の夏から指揮を執ったカルロ・アンチェロッティは、エンリーコ・キエーザとエルナン・クレスポを重用し、ゾラをベンチに置くようになった。

 出場機会が激減した10番は、パルマACを退団する決意を固めた。アンチェロッティは後に、「ゾラを売却したのは誤りだった。私は指導者としてまだ経験が浅く、自分のシステムを変えることができなかった」と回想している。

 新天地となったチェルシーFCでは、一足早く加入していた同胞のジャンルーカ・ヴィアッリとのコンビでサポーターの心を鷲掴みにした。

 当時、伝統的なロングボールがまだ多用されていたプレミアリーグにおいて、ゾラのテクニックは際立っていた。

 6シーズン半にわたる在籍期間でリーグ制覇こそ果たせなかったものの、FAカップを2度制覇し、チェルシーの王として君臨。プレミアリーグの主役の一人となった。

 その予測不能なプレーを称え、“マジックボックス”の異名がつけられた。さらに、イングランドサッカー界への貢献が認められ、2004年には英国王室から大英帝国勲章を授与されている。

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