
SSラツィオ チーロ・インモービレ【写真:Getty Images】
セリエAで4度の得点王に輝き、ラツィオではクラブ最多207ゴールを刻んだチーロ・インモービレが現役を引退した。一方で、その実績に見合う評価を受けてきたとは言い難い。デル・ピエーロに憧れた少年は、いかにして“ラツィオの王”となったのか。その軌跡を振り返る。(文・佐藤徳和)[1/2ページ]
「今こそ家族と一緒にいるとき」36歳で決断した現役引退

パリFC チーロ・インモービレ【写真:Getty Images】
チーロ・インモービレが8月14日、現役引退を表明した。
36歳のインモービレはTシャツ姿で、現役最後の所属先となったパリFCのチームメイトを前に、「これは私にとってつらい瞬間です。素晴らしい道のり、そして私の人生の一部が終わるからです。私は心からサッカーを愛しています。でも、現在の自分の状況について、自分自身に正直でありたいと思っています。簡単な決断ではありませんでした」と語った。
インモービレは英語で話し、その表情は清々しく、時おり笑顔もこぼれ、サッカーに別れを告げる悲壮感はなかった。
「みんなは素晴らしい家族です。みんなと一緒にいられること、このクラブの一員でいられること、新しい監督(チェルシー前監督リアム・ロシニアー)とそのスタッフ、そして本当にみんなと一緒にいられることを幸せに思っています。
でも、私には今こそ家族と一緒にいるときが来ました。家族ともっと多くの時間を過ごしたい。家族はどこへ行くにも私についてきてくれました。もし自分が全力を尽くせると感じられないのなら、難しいことではありますが、ここでキャリアを終えるという決断に達しました」
引退の理由を明かすと、チームメイトから拍手が起こった。パリFCには今年2月1日にボローニャFCから移籍。リーグ・アン12試合に出場して2ゴールを記録し、フランスでの挑戦も幕を閉じた。
アイドルはデル・ピエーロ。ユヴェントスでのデビュー

ユヴェントスFC チーロ・インモービレ【写真:Getty Images】
インモービレは1990年2月20日、カンパーニャ州ナポリ大都市圏のトッレ・アンヌンツィアータに生まれた。
人口約3万9000人の海沿いの町で、ヴェスーヴィオ山の南麓に位置する。西暦79年のヴェスーヴィオの噴火によって発生した火砕流に埋もれたことで知られる古代都市ポンペイにも近く、「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」として世界遺産にも登録されている。
インモービレがサッカーを始めたのは、4歳の時だ。トッレ・アンヌンツィアータ88という名のクラブだが、今はもうない。そして、その頃のアイドルが、ユヴェントスのアレッサンドロ・デル・ピエーロだった。
インモービレは、自身のInstagramに別れのメッセージも綴り、「成長するにつれて、私のアイドルだったデル・ピエーロになることを夢見るようになった」と語った。
2007年、17歳のときに8万ユーロの移籍金で、ユース部門責任者だったもう一人のチーロ、フェッラーラの推薦もあって、ユヴェントスに加入。プリマヴェーラに加わった。
デル・ピエーロとは不思議な縁で結ばれていた。トップチームでのデビューは19歳だった2009年3月14日。ボローニャ戦でセリエAデビューを果たす。後半アディショナルタイムにデル・ピエーロに代わってピッチに入った。
UEFAチャンピオンズリーグ(CL)のデビューもデル・ピエーロとの交代によるものだった。翌シーズンの11月25日に行われたボルドー戦で、68分に再びデル・ピエーロに代わって出場している
その目標だったデル・ピエーロから、自身のInstagramを通じてねぎらいの言葉が送られた。
「なんて素晴らしい旅だったんだ、チーロ。ゴール、犠牲、情熱、そして勝利に彩られた、素晴らしいキャリアだったね。これからは、家族とともに過ごす新たな章が始まる。これからどんな新たな挑戦が待っているのだろうね。君が成長していく姿を見て、デビューを見届け、そして一緒にたくさんの時間を過ごせたことを嬉しく思う。大きな抱擁を。ボンバー(ストライカー)」
憧れのデル・ピエーロに代わって“イタリアの恋人”、ユヴェントスの一員としてピッチに立つことは叶った。しかし、ユーヴェの一員として活躍することはできず、たった一つのゴールを挙げることすらできなかった。ユーヴェを離れ、チーロの長い冒険が始まる。
ペスカーラから始まった“ゴールハンター”の道

デルフィーノ・ペスカーラ 左 チーロ・インモービレ 右 マルコ・ヴェッラッティ【写真:Getty Images】
インモービレを語る上で欠かすことのできないのは、ユーヴェからレンタル移籍した11/12シーズンのデルフィーノ・ペスカーラでの覚醒だ。
ペスカーラ出身のマルコ・ヴェッラッティ、ナポリ生まれでSSCナポリからのレンタルで加わったロレンツォ・インシーニェと共に、D・ペスカーラを牽引。28ゴールと得点王に輝き、チームもセリエA昇格を成し遂げた。
このときの監督は、名伯楽で超攻撃的サッカーを標榜するズデネク・ゼマンだ。このシーズン、チームはなんと90ゴールを挙げた。2位のトリノFCが57ゴールだったことを考えると、このゴール数がいかに常軌を逸した記録だったかがわかるだろう。ちなみに、失点はトリノFCの28点の約2倍となる55失点であった。
セリエBでのブレイクにもかかわらず、ユーヴェに残ることは許されなかった。次に爆発したのは、ジェノアを経て加入したトリノを本拠地とするもう一つのクラブ、トリノFCであった。13/14シーズン、インモービレは22得点を挙げて、セリエAでも得点王の称号を獲得した。
イタリア国外での評価も上がり、2014年夏に次の挑戦の場として選んだのは、ユルゲン・クロップが指揮していたドイツの名門ボルシア・ドルトムントであった。
しかし、14/15シーズンのブンデスリーガでは24試合の出場で3ゴール。CLでは4ゴールを挙げたが、期待を裏切る活躍で、翌年夏に買い取りが義務のオプションが付くレンタルでスペインのセビージャFCへと渡る。だが、2016年の冬までに2得点に留まり、再びトリノFCへと復帰。