日本の名GM鈴木満が語る『鹿島の流儀』

「鹿島アントラーズがブラジル人監督にこだわる理由と、一線で活躍する日本人指導者を多く輩出する理由」
鹿島は10名の監督が指揮を執ってきたが、そのうち8名はいずれもブラジル人。クラブの根底にある監督起用における哲学と、これまで輩出してきた日本人指導者の登用についてのビジョンを聞く。

2012年12月23日(Sun)11時37分配信

text by 宇都宮徹壱 photo Kenzaburo Matsuoka
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【サッカー批評issue58】掲載

偉大な伝道師と優れた継承者

 Jリーグが開幕して、今季で20シーズン目。鈴木満は、そのうちの17シーズンを、鹿島アントラーズの強化部長として過ごしてきた。

 鈴木がこのポジションに就任した1996年当時、Jリーグに加盟していたのは16クラブで、まだJ2はなかった。すべてのチームが同じミズノのユニフォームに袖を通し、背番号は固定制ではなかった。いわば「黎明期」の湿気をたっぷり含んだ時代から今日に至るまで、鈴木はずっと鹿島の強化に全身全霊を捧げてきた。

「ぜんぜん先のことなんて、考えてもいなかったですね」

 これほど長く、強化部長を続けることを想像できましたか、という質問に対して、鈴木の答えは実にそっけない。そして、こう続ける。

「92年にアントラーズができて、94年までジーコが選手としていました。その当時、運営にしろ、強化にしろ、この国にはプロのフロントがいなかったわけです。そういう中で、プロであるジーコからいろんなことを教えてもらった。それが自分の財産にもなりました。17シーズンにわたって、生き残ることができた背景には、まさにジーコの教えがあったからだと思います」

 ジーコが伝道師となり、鹿島にプロフェッショナリズムを叩き込み、そのマインドは今も生き続けている――。すでに語り尽くされた感のある物語である。だが、あらためて不思議に思うのが、鹿島はチーム結成から20年の間、まったくブレることなく「ブラジル路線」を継承してきたことである。

 確かに、チーム設立当初のジーコのインパクトは絶大であった。94年に日本でスパイクを脱いで以降も、クラブに対する影響力を保ち続けた。レオナルドやジョルジーニョといった、現役のブラジル代表が相次いで鹿島の一員となったのも、ジーコの影響力抜きにはあり得ない話であった。

 とはいえ、どんなに優れた伝道師が降臨しても、そこに優れた継承者がいなければ、クラブの方針の一貫性は失われてしまう(イビチャ・オシム退任後のジェフ千葉を見れば明らかである)。鹿島の20年がブレなかったのは、ひとえに鈴木という優れた継承者がクラブの方向性を司るポジションに長らく居続けたことが大きかった。

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