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Jリーグ 11年前

日本の名GM鈴木満が語る『鹿島の流儀』

text by 宇都宮徹壱 photo by Kenzaburo Matsuoka

もし、日本代表に鈴木がスタッフとして加わっていたら…

 確かに、鹿島のブレないブラジル路線は、一方で指導者選びのハードルを上げているようにも見える。ブラジル人だからいい、というわけでもない。実際、ゼ・マリアもアウトゥオリも1年でチームを去っている。しかし一方で留意すべきは、このチームを巣立っていった指導者が、他のクラブで結果を出しつつあるという事実である。

「関塚だったり、奥野(僚右)だったり、ブラジル人指導者の下でいろんな経験をしています。彼ら以外にも、ここでさまざまな成功体験をしてから指導者になったOBがいます。秋田であったり、相馬であったり、黒崎(久志)であったり、手倉森(誠)であったり。彼らは選手時代に、ここのチーム作りの基礎を学び、指導者になっていった。それは、ウチのやり方がそんなに間違っていなかったという評価につながると思います」

 鹿島アントラーズというクラブは、ジーコイズムを日本の土壌に適応させながら継承し、長い時間をかけてフロントから選手に至るまで浸透させていった。今後、指導者が日本人になっても路線がブレなければ、クラブはさらに一段上の高みに達することだろう。おりしもこの取材直後の8月30日、関塚の五輪代表監督退任が発表された。今後のクラブの動向に注視したい。

 最後に、今回の鈴木への取材中にふと思い浮かんだことを記しておく。

 ジーコが率いた日本代表のスタッフに、もし鈴木が加わっていたならば、チームの空中分解は未然に回避できたのではないか。そうなっていれば、06年のワールドカップの結果も、そしてジーコ時代の評価も大きく変わっていたことだろう。もっとも、鈴木が不在となった鹿島が、その後もジーコイズムを堅持しながら、あれだけのタイトルを獲得できたかといえば、それはまた別の話である。(文中敬称略)

【了】

初出:サッカー批評issue58

プロフィール

鈴木満
1957年生まれ、宮城県出身。住友金属工業(現・鹿島アントラーズ)でプレーし、引退後はコーチに転身。Jリーグ発足に際しては、当時JSL2部にいた鹿島のリーグ参入に尽力した。その後、強化部長として有能な選手を発掘し、タイトル獲得に寄与。現在も常務取締役兼強化部長としてチーム強化に勤しんでいる。

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