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在日と帰化 アイデンティティと格闘する在日フットボーラーの軌跡(前編)

text by 河鐘基 photo by Kenzaburo Matsuoka

有名人が出自を公言することはタブー

 1936年のベルリン五輪・マラソンで金メダルを獲得した孫基禎という選手がいる。アジア人で初めて五輪マラソン種目を制覇した人物だ。彼の優勝の報せに、朝鮮半島の人々は歓喜に沸いた。しかし、次の瞬間には、その熱も一瞬でどこかに吹き飛んでしまう。

 表彰式の写真。そこには、日本の国旗を胸につけた孫基禎の姿があったからだ。その姿は、金メダルを手にしたのにもかかわらず、うなだれ、失意にくれているようにも見えた。

 このような一連の同化政策は、朝鮮半島の出身者たちの民族的アイデンティティを深く傷つけた。それは集団的なトラウマの記憶になったと言ってもいい。

 その後、第二次大戦が終わり、朝鮮半島は独立するが、次にやってきたのは、冷戦と分断だった。半島には大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国という2つの国が成立したことで、日本に定住していた在日コリアンの民族的アイデンティティはより複雑化。

 そのような状況の中で、在日コリアンたちが日本という国で自分の名前や出自を主張することは困難を極めた。終戦から復興へと向かう日本社会からすれば、在日コリアンら朝鮮半島出身者は戦争の苦い記憶を思い出させる存在であり、在日コリアンたちもその複雑な出自を明かすことをためらった。

 特に、スポーツや芸能などの人気商売になるとなおさらだった。主催する側にとっては、在日であること=イメージダウンという認識が一般的だった。人気者は日本人であるべきだという社会的な風潮が圧倒的に強く、第一線で活躍する著名芸能人やスター選手がその出自を公言したり、その事実を明かすのは一種の“タブー”だったのだ。

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