諦めかけていた吉田ダイレクター
勝たなければいけない試合で勝たせることができなかった。自分の使命はチームを常に3位以内にいさせることであり、中位以下ではない。辞任の理由は、一言で言えば“成績不振”だ。選手との関係、フロントスタッフとの関係は良好だった。来季の続投を視野に入れ、編成の話も進んでいた。
海外クラブからの引き抜きオファーが届いたという話もなく、他に辞任の理由が見当たらない。吉田達磨ダイレクターは、「彼の『これ以上負けることに耐えられない』という言葉を尊重するしかない」と話した。
当然、クラブは慰留に努めた。鹿島戦終了後の夜、吉田ダイレクターはネルシーニョと話し合いを持ったが、彼の辞任への決意は固く、「慰留は難しい」と吉田ダイレクターは感じたため、早速訪れる直近の2試合、4日の天皇杯2回戦、7日のヤマザキナビスコカップ準決勝第1戦では、井原正巳ヘッドコーチを暫定監督として立て、柏は新体制へ移行する方向を定める。
そして鹿島戦の翌日(9月1日)、ネルシーニョが練習場に姿を現さなかったことで、辞任はいよいよ決定的だと思われた。
鹿島戦後の会見の場で、ネルシーニョは自らの辞任を「冷静な判断」と述べていたが、あの語気の強さや会見場での様子からすれば、冷静さを欠いていたのは明らかだった。
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