W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ジーコ、そして日本に大きな影響を与えた伝説的フィジカルコーチ

サッカー王国ブラジルだが、サッカー経験が少なくとも監督として活躍する者もいる。それがフィジカルコーチという存在だ。その元祖とも言うべき男はセレソンをW杯優勝にも導いた。一旦どんな人物なのか?

2013年09月15日(Sun)11時57分配信

シリーズ:W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール
text by 田崎健太 photo Kenta Tazaki
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民衆の不満が溜まっていた70年W杯の前年

 ブラジルの監督にあって日本にないもの――それは、フィジカルコーチ出身というカテゴリーだ。

 有名なところでは、94年W杯などでブラジル代表を率いた、カルロス・アルベルト・パレイラ。彼は選手経験がなく、体育大学からガーナのクラブチーム、ガーナ代表監督とキャリアを積み、母国の監督となった。また、大分トリニータ監督だったシャムスカも体育大学からフィジカルコーチ、そして監督になっている。彼のプレー経験はアマチュアのみである。

 この系譜を辿っていくと、クラウジオ・コウチーニョという男にぶつかる。

 日本ではコウチーニョの名前を知る人間は少ないかもしれない。しかし、彼の教えの精髄は日本サッカーにも影響を与えている。

 ブラジルフッチボールの歴史を紐解こう――。

 1964年4月にブラジルではカステロ・ブランコ将軍が大統領に就任、軍部が政権を掌握した。これに対して知識人、学生を中心とした反政府運動が活発化していた。もっとも有名なのは、69年9月に起こった、アメリカ大使誘拐事件だ。

 反政府武装組織がリオ・デ・ジャネイロ駐在のアメリカ大使を誘拐し、政府に政治犯釈放を要求したのだ。大使は4日間監禁され、政府は要求を飲んだ。この事件は後に、『クワトロ・ジアス・エン・セッテンブロ』(『9月の4日間』)という映画にもなっている。

 民衆の軍事政権に対する不満は鬱積しており、69年に大統領を引き継いだメジシは、“民衆の支持”を必要としていた。

 民衆の支持という言葉はラテンアメリカではしばしばサッカーと絡めて使用される。翌70年に行われたW杯で優勝し、人々の不満をそらすことが必要だった。

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