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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ジーコ、そして日本に大きな影響を与えた伝説的フィジカルコーチ

ブラジルに持ち込まれた「オーバーラップ」「ポリバレント」という概念

 コウチーニョが監督としての評価を確立したのは、W杯後、フラメンゴに戻ってからである。

 79年から80年に掛けて、フラメンゴは“ROLO COMPRESSOR”(ホーロ・コンプレッソール)と呼ばれた。ホーロ・コンプレッソールとは、地面をならすときに使うローラーのことである。フラメンゴの前に立ちふさがると潰されてしまうという意味だ。

 当時フラメンゴにいたアジーリオがコウチーニョの多用していた〝言葉〟を教えてくれたことがある。

 一つはポント・フトゥーロ(直訳すると、未来の場所)。これはゴール前の両端の場所のことを指す。アジーリオによると、コウチーニョは「困った時にはポント・フトゥーロにボールを運べ」と教えたという。

 サイドバックの選手が前線にまで攻め上がっている「オーバーラップ」、今では日本でも普通に使われるようになった複数のポジションをこなす「ポリバレント」――。

 この3つの単語はコウチーニョによってブラジルサッカーの辞書に加えられた。そしてこれらの考えはジーコに引き継がれ、日本に伝えられた。

 81年11月23日、フラメンゴはチリのコブレロアを破ってリベルタドーレス杯を制している。

 監督はパウロ・セザール・カルペジアーニに変わっていたが、土台を作り上げたのはコウチーニョだった。コウチーニョはこの試合の4日後、27日にリオの海岸でスキューバダイビングをしている最中に溺死。享年42才だった。

 この年12月、フラメンゴは東京の国立競技場で行われたトヨタカップでイングランドのリバプールを破って世界一となった。8番をつけたアジーリオが試合を決める3点目をあげ、ジーコが最優秀選手に選ばれた。

【次週に続く】

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