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連載コラム 11年前

W杯前に知っておくべきブラジルフッチボール。ジーコに影響を与えた名将テレ・サンターナ

勇気を持って起用した「クワトロ・オーメン・ジ・オウロ」

 テレ・サンターナの名前が世界中に知られることになったのは、80年2月にブラジル代表監督になってからのことだ。

 この時の代表には、ジーコ、ソクラテス、ファルカン、トニーニョ・セレーゾという「クワトロ・オーメン・ジ・オウロ」(4人の黄金の男)がいた。

 この時の代表選考は、テレ・サンターナらしいものだったとジーコは振り返る。

「それまでサンパウロ出身の監督はサンパウロ出身の選手を、リオ出身の監督はリオ出身の選手を重用した。テレはそうした悪しき地域主義にとらわれなかったんだ。ぼくはリオ、ソクラテスはサンパウロ、セレーゾは(中部の)ミナス・ジェライス州、そしてファルカンが(南部の)リオ・グランジ・ド・スール州出身。全員がそれぞれ違った地方から選ばれていたんだ」

 セレーゾを除くと3人とも守備が得意な選手ではない。ジーコ、ソクラテス、ファルカン、セレーゾ、この4人の選手を中盤に並べることはかなり勇気がいったことだろう。

 短期決戦であるW杯では、失点を避けることが第一である。できるだけリスクを避けて守備を固めて、効率良く勝ち点を挙げる――テレ・サンターナはそうした策を嫌った。

 このサッカー観こそが、今なお彼がブラジルで強く支持されている最大の理由である。

 ソクラテスによると、「テレはポジションが被ろうが、一番優れた選手たちをピッチに送り出した」という。

 テレ・サンターナの考える優れた選手というのは試合の流れを読むことが出来る。相手の力量、戦術、陣形に合わせて、自然とポジショニング、役割分担を調節していくものだ。

 中盤の4人についても、「4人に決まり事は全くなかった。一応、ファルカンとジーコが前、ぼくとセレーゾがやや後ろというのは決まっていたけれど、相手の力、戦い方によって、毎回4人の選手の役割は違っていた。どんな風に4人が動いたかというのを説明しようとしたら、一冊の本を書いても足りないぐらいだよ」と語っている。

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