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もう一度日本代表に…亡き父の言葉を胸に大久保嘉人が動き出す

 10月6日のBS日テレ「アスリートの輝石」では、現在J1リーグ得点ランキングトップを走る川崎フロンターレ・大久保嘉人の特集が放送された。

text by 編集部

もう一度日本代表に…亡き父の言葉を胸に大久保嘉人が動き出す
「アスリートの輝石」番組ホームページ

 10月6日のBS日テレ「アスリートの輝石」では、現在J1リーグ得点ランキングトップを走る川崎フロンターレ・大久保嘉人の特集が放送された。

 大久保の「原石時代」を振り返った番組では、プロ入り前の数々のエピソードを中心に構成。福岡県苅田町で育った彼は、当時から地元では有名なサッカー少年だったらしく、当時の様子を映したプレー映像では、小柄ながら、抜群のテクニックとドリブルで相手を翻弄する姿が紹介されていた。

 94年のアメリカワールドカップを親子で見たときには、父・克博さんから「お前もW杯に出れたら良いな」、「出れるわけないよ」との会話をしたとも明かしていており、その後、自宅のトイレにはこの大会の得点王・ロマーリオのポスターが貼られるようになったという。

 克博さんの応援もあり、12歳からプロを目指して親元を離れて国見で始まることになったサッカーの修行生活。この生活について、「友達と別れるのが嫌だった。田舎のチームだし田舎の人だし、プロになれるなんて全く思ってなかった」と大久保本人は振り返るが、克博さんの「プロになれるかもしれない。懸けろ」という言葉もあり決断。大久保は「今思えば、そんな言葉でよく決めたなと」と懐かしんでいた。

 両親の声が聞きたくて、自宅に電話をかけるのが日課になっていたというが、その後頭角を現し、中学、高校でレギュラーとして活躍。国見高校では高校サッカー選手権大会優勝の原動力になる活躍も見せており、無事プロの道に進んでいる。プロ入り後も順調にキャリアを積み、日本代表として2010年の南アフリカワールドカップにも出場。

 今年、ヴィッセル神戸から川崎フロンターレに移籍し、順調に得点を重ねていただが、その矢先の5月12日、入院をしていた父・克博さんが死去。その遺書に綴られていた「サッカー頑張れ」、「日本代表にもう1回なれ」という言葉を胸に、彼はもう一度、日本代表に返り咲くことを目指している。

  第27節名古屋グランパス戦で、母・千里さんが応援に駆けつけた中、見事にゴールをあげた彼は、試合後、こう言い切っている。

「点を取り続けることで代表の道も見えてくる」

【了】

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