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消滅危機のチバスUSA。人種差別訴訟にも発展したオーナーの愚行。加地亮の未来はどうなる?

text by ダン・オロウィッツ photo by Getty Images , mlssoccer.com

CDグアダラハラの姉妹クラブとして発足も経営に失敗

消滅危機のチバスUSA。人種差別訴訟にも発展したオーナーの愚行。加地亮の未来はどうなる?
2006年には1万9840人を記録した平均観客動員数でも2013年には8366人にまで低下する事態に【写真:Getty Images】

 しかし、最終的に今年の始めにMLSが買い戻すことを余儀なくされた10年に及ぶ乏しい成長と物議をかもす経営によって、近い将来にはLAをホームと呼べるクラブは成功を収めたロサンゼルス・ギャラクシーの1つだけになる可能性は十分に考えられる。

 億万長者のオーナー、ホルヘ・ベルガラ氏によってメキシコのCDグアダラハラの“姉妹クラブ”として発足したチバスUSAは、2004年8月に新たなMLSフランチャイズとして発表された。

 南カリフォルニアが第2のチームをサポートすることが出来るかどうかの不安があったにも関わらず、リーグ側はスペイン語圏の市場へのアピールとして同一都市間のライバル関係を作る機会を受け入れた。

 チバスUSAは、最初のシーズンはピッチ上で苦戦。ウエスタン・カンファレンスのワースト記録となる4勝6分け22敗という記録を残す間、3人の監督を雇用した。

 だが、彼らは間もなく自らの足場を見つけた。後の米国代表監督となるボブ・ブラッドリー監督(06年)とベテランのプレキ監督(07-09年)によってMLSカップ(プレーオフ)の準決勝に進出したのだ。

 ところが、4年連続でMLSカップの決勝に進出“出来なかった”という理由でプレキ監督を解任した2009年11月以降、チームは弱体化の一途を辿った。

 さらに2006年には1万9840人を記録した平均観客動員数でも2013年には8366人にまで低下する事態に陥ってしまった。

 オーナーのベルガラ氏は、CDグアダラハラを徹底的に模倣してチバスUSAを作り上げた。同じユニホームに同じ胸スポンサー、更にはスペイン語の試合中継も行ったのだ。

 しかし、彼の倹約ぶりはチバスUSAの年間賃金をMLSで最低の水準に保ち、リーグでの酷い成績は2006年以降リーグタイトルのないCDグアダラハラのそれを完全に反映してしまった。

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