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かつて2つのクラブだった。中田もプレーしたフィオレンティーナの秘密

イタリアで絶大な人気を誇るリアルサッカーゲーム「ファンタカルチョ」。その日本版を手掛けるダビデ・ウッケッドゥ氏がセリエAを解説する。(文:ダビデ・ウッケッドゥ)

シリーズ:ファンタカルチョ text by ダビデ・ウッケッドゥ photo by Getty Images

かつて2つのクラブだったフィオレンティーナ

ルイ・コスタとガブリエル・バティストゥータ
ルイ・コスタ(左)とガブリエル・バティストゥータ(右)【写真:Getty Images】

 こんにちは、ファンタカルチョ.jpです。ファンタカルチョ新シーズンのスタートはいかがでしたか? 面白い選手をみつけましたか?

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 今回はフィオレンティーナの歴史についてお話したいと思います。

 1920年代、フィレンツェには二つのチームがありました。フィレンツェ・スポーツクラブ(Club sportivo Firenze)とフィオレンティーナ・スポーツジム(Palestra ginnastica fiorentina Libertas)です。しかし、この二つのチームがあまり良い成績を残さなかったため、ルイージ・リドルフィ(Luigi Ridolfi)というファシズムの政治家はこの二つのチームを一つにすることを考えました。

 最初、両チームのフロントや応援団はそのアイディアに反対していました。チーム同士が仲良くなかったうえ、フィレンツェチームのダービーは両陣営がアツくなる良い試合が多かったらしく、この文化を消滅させたくなかったのです。それでも、1926年にクラブがお互いのファンを納得させ、フィオレンティーナが生まれました。

 皆さんはフィオレンティーナのことを「ヴィオーラ(紫)」と呼んでいると思いますが、実は昔のフィオレンティーナのユニフォームの色は紫色ではありませんでした。当時のユニフォームはフィオレンティーナの元になった二つのクラブの色を合わせた白と赤で、ユニフォームにはフィレンツェのシンボルまで入っていました。

(文:ダビデ・ウッケッドゥ)

【了】

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