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ボスマン判決という分岐点。40年以上オセールを率いた老将が語る、「選手の商品化」【特集:ボスマン判決、20年後の風景】

貧乏クラブはさらに貧困に、裕福なクラブはより金持ちに

 下部組織をスポーツ面におけるプロジェクトの基礎としていたクラブは、若手選手たちがあまりにも早く、適切な成長のプロセスを踏むことなく去っていくのをただ見ているしかなかった。財政面において、彼らを留めようと抗えはしなかったのだ。

 突然ではなく漸進的なものだったが、ボスマン・ルールはこのスポーツにおける自然な流れというものを断ち切ってしまった。育成を基盤とするところを主として、貧乏クラブはさらなる貧困に喘ぐことなり、裕福なクラブはより金持ちになっていった。

 フランスであれば、少し前まで国外のビッグクラブと対抗する術を持ち得なかった。20世紀の大半、北にあるクラブは民間企業や政府に支えられていたが、彼らは今日の中東の投資家のように底なしの井戸ではなかったのだ。

 ボスマン・ルールは時の流れとともに、身の毛のよだつような自由主義を形づくっていった。選手たちが人間と捉えられることを放棄して、商品に変わってしまったのである。そうなったことで一体誰が金を得たのか? それは平均的な選手たちにほかならない。

 例えば自分が育て上げたエリック・カントナは、初めて目にしたときからほかとは毛色の異なる名手であったが、私はトップチームに引き上げたときにも下部組織の年俸額を維持させた。けれども、その後マルセイユで彼の受け取る額は数倍にもなり、イングランドでさらに跳ね上がった。つまり真の名手というものは、ボスマン・ルールがあってもなくても、揺らぐことのない唯一無二のキャリアを歩んでいくのである。

 だがその一方で、あの判決は平均的な選手たちがこれまで以上の金をつかむ助けとなり、その大多数から出場機会を取り上げてしまった。結局のところボスマン・ルールは、控え選手のインフレを引き起こしたのだ。それは選手たちがフットボールへの愛情を減らし、金をもっと愛するようになったという精神の変化に置き換えられる。

 私はどのようなことがあっても、オセールをボスマン・ルールの犠牲にしたくなかった。よって、若き才能と気が狂ったような契約を交わすことなく、天文学的な数字によって退団を妨ごうともしなかった。その代わりに我々が取り組んだのは、選手の周囲との関係をより強固なものにすること。

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