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日本代表 7年前

市船出身の高卒ルーキー、そろってU-20W杯へ。原輝綺と杉岡大暉、崇高なライバル関係

text by 藤江直人 photo by Editorial Staff, Getty Images

杉岡がJ2降格危機にあった湘南を選んだ理由

 市立船橋で急成長を遂げた証とも言えるし、同じようにU-18へ昇格できず、青森山田高校(青森)に進んだFC東京U-15深川時代の盟友、GK廣末陸は実力でFC東京を振り向かせて入団を勝ち取った。

 しかし、杉岡が選んだのはベルマーレだった。J1を戦っていた昨シーズンは開幕直後から低迷し、J2に降格するおそれもあった。それでも、1週間ほど参加したベルマーレの練習に杉岡は魅せられた。

「もちろんJ2に降格したときのことも考えましたけど、湘南スタイルを武器とするアグレッシブなサッカーに惹かれたのと、日々の練習の質や強度の高さ、先輩の方々が取り組む姿勢を含めて、このチームならば毎日のように成長していけると思ったことが決め手になりました。

 FC東京ならばU-23チームが参加しているJ3ですぐに試合に出られるかもしれない、ということも考えました。それでもJ2のなかでも限りなくJ1に近いレベルのチームで練習して、J2の試合に出ることで成長したいという結論に至りました」

 3シーズンにわたって3バックの左を務めてきた、DF三竿雄斗が鹿島アントラーズへ移籍したことも、杉岡にとっては追い風になった。左利きで対人に強く、前への推進力と正確なフィードも搭載している杉岡は、三竿の穴を補って余りある存在となった。

「五分五分のボールをピタッと止めて、味方にパッと縦パスを入れるプレーは、教えてもなかなかできないこと。たとえミスになったとしても、そういうチャレンジは奨励してあげないといけない。ポジショニングや守備のところでは改善すべき点は多いけど、(杉岡)大暉は相手が嫌がることをできるので」

 ベルマーレを率いる曹貴裁(チョウ・キジェ)監督の慧眼も、杉岡の成長を加速させた。迎えた3月下旬のU-20日本代表によるドイツ遠征。けがで辞退したDF中山雄太(柏レイソル)に代わって、杉岡が追加で招集された。

 メンバーには原も名前を連ねていた。杉岡が再び原と同じ土俵に立った形となるが、原自身はJ1の舞台で濃密な経験を積みながら、さらに先を走っていた。すでに退任となったが、今シーズンから指揮を託された三浦文丈監督は、開幕へ向けた準備のなかで原の非凡さに幾度となく驚かされていた。

「日々の練習を見ていて、とにかく守備の能力が高いなと。実際に試合を重ねていくと、危険なところを察知する能力がどんどん磨かれていった。素晴らしく成長していると思います」

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