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ヴェンゲル政権の終焉近づく。もはや時代遅れの名伯楽、誰もが望む最高の引き際とは

text by Kozo Matsuzawa / 松澤浩三 photo by Getty Images

15年前の華やかさはどこに。シティ相手には無策で惨敗

アーセナル
2003年8月当時、アーセナルにとってマンチェスター・シティは“格下”だった。今ではその立場が完全に逆転している【写真:Getty Images】

 話を少し戻すが、前述のリーグカップ決勝はあまりにも酷い内容だった。ハナから負けるためにピッチに上がったかませ犬のようなパフォーマンスには、正直驚かされた。その直後のリーグ戦も、序盤こそ対等にプレーしたものの、15分に失点するとそのままあっさりとシティの軍門に下った。ピッチの上では選手たちが手も足も出せず、ピッチサイドではヴェンゲル監督がなんの策も講じられずに、0-3で負けている状況にありながら、最終的に交代枠を一つも使わなかったほどだった。

 試合後アーセナル番の記者と話をすると、彼はヴェンゲルの限界についてこう語った。

「もしアーセナルの選手5、6人がシティへ移籍してペップ・グアルディオラ監督のもとでプレーしたら、素晴らしい活躍をするだろう。でも逆になったら、こんなに素晴らしいパフォーマンスを見せているシティの選手でも、『アーセナルのプレー』に終始するに違いない。メスト・エジルは、過去7年で5回もドイツの年間最優秀選手に輝いている。だが今日のプレーを見ても分かるように、アーセナルではただの人に成り下がってしまう」

 この試合で解説を務めたガリー・ネビルは、3点目を喫した後のエミレーツ・スタジアムの雰囲気について「有毒ガスが溢れている」と表現した。また、キーオンは「悲しい夜だ」と苦しい心境を吐露した。

 今から15年近く前の2003年8月。筆者はオープンしたばかりのシティ・オブ・マンチェスター・スタジアム(現在のエティハド・スタジアム)で、シティ対アーセナルを観戦した。その後インビンシブルズとして語られることになる当時のアーセナルは、ギアをローに入れたまま、あっさりとシティを一蹴した。さらに2005年の10月にハイバリー(かつてのアーセナルの本拠地)を訪れて同一カードを見た際には、その試合で2つ目となるPKでロベール・ピレスがアンリにパスを出す奇策を講じて失敗したことが思い出される。

 当時のアーセナルのプレーは遊び心に溢れ、魅力的なサッカーを展開していた。現在のシティのようだったが、今ではまるで立場が逆転してしまった。

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