フットボールチャンネル

マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」全選手紹介。ギグス、ベッカム、スコールズ…歴史に名を刻む男たちの肖像

シリーズ:マンU伝説の「ファーガソンの雛鳥たち」 text by 編集部 photo by Getty Images

敵陣から自陣まで。ピッチを支配する男

ポール・スコールズ
ポール・スコールズ【写真:Getty Images】

MF:ポール・スコールズ
生年月日:1974年11月16日(44歳)
トップチームデビュー:1994年9月21日(19歳)
クラブ経歴(リーグ戦成績)
92/93~10/11 マンチェスター・ユナイテッド 466試合102得点
11/12~12/13 マンチェスター・ユナイテッド 33試合5得点
代表歴:イングランド代表 66試合14得点
主なポジション:セントラル・ミッドフィールダー

 ポール・スコールズは、マンチェスター・ユナイテッドの歴史を語る上で欠かすことのできない重要な人物の一人だ。168cmと小柄ながら、無尽蔵のスタミナと抜群のテクニックを兼ね備え、敵陣ペナルティエリアから自陣ペナルティエリアまで攻守に絶大な影響力を持つ史上最高の「ボックス・トゥ・ボックス」といえる選手である。

 スコールズのトップチームデビューは、94/95シーズンの1994年9月21日に行われたリーグカップ2回戦ポート・ヴェイル戦。そのシーズンはリーグ戦17試合に出場して5得点だったが、翌95/96シーズンには26試合に出場して10得点。ここからスコールズとユナイテッドの歴史はスタートした。

 スコールズは20年に及ぶユナイテッドでのシーズンでロイ・キーンらと4-4-2の中盤のコンビを組み、常に中心にいた。特にロイ・キーンとのコンビは相手チームにとっては特大級の脅威であり、味方にとっては何よりも頼りになる存在だったといえる。

 また、スコールズのオールラウンドな能力や戦術の柔軟性は、ファーガソン監督にとっても大きな助けとなり、01/02シーズンにMFファン・セバスティアン・ベロンを獲得した際には、システムを4-4-1-1に変更。スコールズはFWルート・ファン・ニステルローイの背後に位置するセカンドストライカーとして起用された。

 当時、対戦したチームの選手や監督たちは口々にスコールズのプレーを讃え、世界最高のMFとして認識された。

イングランド代表低迷の要因に?

 スコールズとマンチェスター・ユナイテッドの最初の別れは2011年5月31日に訪れた。スコールズは10/11シーズンを最後に現役を引退することを表明し、その後はコーチとしてクラブに留まる決断を下した。

 ところが翌11/12シーズンの2012年1月8日、クラブに負傷者が続出すると現役復帰を発表。37歳にして17試合で4得点を挙げる活躍を見せ、翌12/13シーズンには16試合に出場して現状クラブ最後となるプレミアリーグ優勝に貢献した。

 マンチェスター・ユナイテッドにおいては絶大な存在感と圧倒的な実績を積み重ねたスコールズだが、イングランド代表では“わずか”66試合の出場にとどまっている。

 当然ながら代表でも中心的な選手となったスコールズだが、同じ「ボックス・トゥ・ボックス」の選手としてスティーブン・ジェラードとフランク・ランパードが台頭すると、スヴェン・ゴラン・エリクソン監督は若手2人を中心として、スコールズにはサイドハーフで起用するなど補佐的な役割を求めた。

 そして、スコールズはマンチェスター・ユナイテッドに自らの力を注ぐため、2004年に29歳という若さで代表引退を決断した。スティーブ・マクラーレン監督やファビオ・カペッロ監督からの復帰要請にも首を縦に振らず、再びイングランド代表のユニホームに袖を通すことはなかったが、この決断が当時のイングランド代表の苦悩につながったのかもしれない。

 ジェラードとランパードもスコールズに匹敵する「ボックス・トゥ・ボックス」の選手だったが、2人のコンビは機能しているとは言い難く、仮にスコールズとジェラードもしくはランパードを組ませていたら、異なる結果が生まれていた可能性は十分にあるだろう。

 ポール・スコールズという選手は、それほどまでにチームに影響を与える偉大な存在だった。

1 2 3 4 5 6

KANZENからのお知らせ

scroll top